日記(2022/05/25)
勝新太郎『警視-K』第1話「そのしあわせ待った!」をアマプラで。タイトルが完全に『卒業』。
全篇NGカットみたいなドラマ。呆れる。それはもう初監督作『顔役』からして既にそうなのだが。とてもじゃないが見ていられない映像の数々。役者の顔が障害物で見えなくなっていてもお構いなし。即興芝居も失敗しているように見える。役者がアドリブをするときこそ最も凡庸な芝居になりがちなことを勝新太郎が知らなかったわけない。わざと失敗しているようにしか見えない。
作品を作ることが同時にそれを壊すことであるかのような、作品制作がすでにその試みからして作品の失敗を織り込んでいるような。その勝新太郎の創作態度はしかし面白いと思って最近よく見ている。作品を完成させることは秩序を志向することに他ならないが『警視-K』はたとえ完パケして納品されそれが放送されたとしても依然として無秩序を保っている。(無秩序を保つ、という変な響きをもう一度言ってみる)
だから「見ちゃいられない」というのはこのドラマへの評価を述べた感想などではなく、そもそもがそういうドラマなのであって、単にこのドラマの性質についての事実確認的な説明でしかない。それは、同時録音の弊害によってもはや明瞭に聞き取れないセリフをもそのまま放送させる、その態度に端的に現れている。
今日も岩波文庫『失われた時を求めて』。4巻がもうすぐ終わる。大体週に1巻のペースで読めている。どんどんスラスラと読めるようになっていく。単純に読むスピードが速くなっていることに気づく。水泳のタイムが毎日の鍛錬によって少しずつ縮まっていくときのような嬉しさ。水との間にある抵抗が次第に薄らいで泳ぎやすくなるように、プルーストの文章が僕にとって自然なものになりつつある。
(今日は終わり)