日記(2022/07/20)
『エックハルト説教集』を少しずつ読んでいる。キリスト教について何も知らない。でも読もうと思ったのは神への信仰がもつ「信じることのハードコア」みたいな要素を自分に取り入れたかったからで、それは「疑うことのハードコア」としてのデカルトを最近まで読んでいたことと繋がっている。疑いを極限まで突き詰めると信が生まれるのがデカルトだとして、神への信仰を極限まで突き詰めると疑念が生まれるのかといえば、そうはならない、気がする。信仰を極限まで突き詰めると神と同等になって全部大丈夫になる?のかな?疑うことは突き詰めることができるけど信じることは突き詰めることができるのか。信じるということは信じる瞬間に即「全てを信じている」状態になるので突き詰めるも何もないんだろうか。疑いは線だが信じるは点みたいな。信じることに空間とか時間はない。だとしたらエックハルトの説教はその「点」としての泥団子を、あとはただ綺麗に磨いてより一層輝くようにする、信仰の質を向上させていく、ということなのかな。
その他、最近読んだ本で面白かった箇所。
木々が微笑んでるのかわいすぎる。ヴァルザー作品のピュアさ。
神ガチ勢の書いた文章おもろい!
ジョー・カーナハン『炎のデス・ポリス』が良いらしいから見たい。しかし最近見たいと思う新作が減っている。日本映画は特にそうかもしれない…。