【音楽雑記】#27 プロモーションビデオ黎明期、テレビで洋楽を知るケースも増えてきた。 (1982年③)
音楽プロモーションビデオ黎明期
1981年にアメリカでMTVが開局、日本ではベストヒットUSAも始まったが、当初はまだミュージックビデオ(MV)は、ふんだんに供給されていなかったようだ。(ちなみに当時から長らくMVではなく、“レコードを売る為の”プロモーションビデオ(PV)と呼んでいた)
それでも早い段階から積極的にMVをつくり始めたアーティストはいたし、デビューと同時にMVをつくるアーティストも増えてきた。
それまで新しい洋楽との出会いは主にラジオや雑誌、レコード屋さんだったが、それがベストヒットUSAなどで流れるビデオのお陰で、楽曲とアーティストの動く映像を、ほぼ同時に知る機会も増えてきた。
そんなミュージックビデオは1982年頃から数も増えクオリティも上がってきた。
オリビア・ニュートンジョンの「フィジカル」やホール&オーツ「マンイーター」あたりはテレビから入ってきた曲かも知れない。ビリー・ジョエルも「アレンタウン」のような凝った映像を作り始めた。カルチャー・クラブのようなインパクトあるニューウェーブバンドも出てきた。
シーナ・イーストンのMVの記憶
ミュージックビデオ初期に、テレビ流れた映像で、初めて知った新人アーティストで印象に残っているのがシーナ・イーストンだった。
お昼の情報番組か何かで「今、イギリスで物凄く人気が出ている新人アーティストです」、、といった感じで紹介されたのが「9 to 5 (モーニング・トレイン) 」のMVだった。
独特のクリスタルボイス、軽快な曲をショートカット美人が歌う姿が印象的だった。
確か線路脇のシーンや列車に乗って歌ったりたりするシーン、、があったなー、、と思ったら、今の時代、ネット検索ですぐ記憶を確かめられる。ちゃんと公式にアップされていた。
今見ると低予算の映像っぽく、かなりショボい感じだが当時は、洋楽アーティストのドラマ仕立ての演出はまだまだ新鮮だった。
ちなみにシーナ・イーストンの初期の曲は「モダンガール」もいいし、007の主題歌「ユア・アイズ・オンリー』 も名曲だ。
シーナ・イーストン は1982年のグラミー最優秀新人賞を獲得する。(前年はクリストファークロスだった)