【音楽雑記】#41 斉藤由貴「AXIA 〜かなしいことり〜」 と銀色夏生(1985年②)
斉藤由貴は1985年2月に「卒業」で歌手デビュー、続く「白い炎」もドラマ主題歌としてヒットした。そして1985年6月にはファーストアルバム「AXIA」がリリースされる。
このアルバム収録曲「AXIA 〜かなしいことり〜」は印象深く、その後も長らく記憶に残り続けた。
この曲はCM曲になったもののシングル曲にはなっていない。にもかかわらず、今に至るまで、この曲を好きなアーティストも多く、カバーもされている。(上白石萌音も最近2021年にカバー)
この曲は詩人・作詞家の銀色夏生が斉藤由貴のテレビCMをみて、歌って欲しいと持ち込んだ曲だそう。素朴で童謡のようなシンプルな曲調、歌声も可愛く可憐だ。しかし歌詞の内容は二股をかけてました、ごめんなさい、というような内容。ただ少女の悪気は感じられない。
純粋さ、可憐さと残酷性や危うさが同居する夢見る少女的な世界観を感じる歌詞だった。銀色夏生は斉藤由貴の中に、こういった感性・世界観を見抜いたのかもしれない。
当時、銀色夏生は女性を中心に若い世代に人気だった。初期の写真詩集には10代だった吉高由里子や森高千里がモデルとして登場している。可憐で危うげな少女への憧憬があったのかもしれない。
その写真イメージは、夏の海岸や夏の避暑地、そこにある青い空と白い雲。
そこにたたずむ麦わら帽子に白いワンピースの少女。自転車や日傘もサンダルもアイテムとして似合うような風景。
ノスタルジーを感じる舞台装置と可憐な少女イメージのテンプレートだ。
自分の中では、このイメージと斉藤由貴が重なった。そして「AXIA 〜かなしいことり〜」的世界観は斉藤由貴の曲の一つの方向性になっていったのではと想像する。
このイメージは谷山浩子の作詞作品「MAY」や「自転車に乗って」などで受け継がれ表現される。「MAY」では主人公は好きな相手のことを心の中で勝手にMAYと呼んでいる不思議ワールドが展開している。
こういった少女の系譜は色んな作品に出てくるが、特に印象が合致するのが岩井俊二の1993年の作品「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」だ。主人公、奥菜恵もまさにこのイメージだった。
物語の中で可憐で危うげな少女に少年が翻弄される。
そしてサウンドトラックを担当したREMEDIOS(かつての麗美)の曲も、このイメージにぴったりのノスタルジーを感じるものだった。
当時の青少年達はこのノスタルジックで可憐で危うげな少女イメージに翻弄された。
宮藤官九郎やリリー・フランキーも斉藤由貴に翻弄されていた事をラジオやテレビで語っているようだ。
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