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アラフォー女、痔瘻との闘い(前編)

さて、noteをはじめてからどれだけ時間が空いてしまったことか。

そもそも何故noteを始めたか、目的を果たさぬまま慌ただしく時だけが過ぎて行ってしまったことを大いに反省しつつも改めて、まだ記憶があるうちに「それ」について書き留めておこうと思う。


痔瘻、爆誕

タイトルからお察しの通り、「それ」は痔瘻について。私は2021年6月、痔瘻と診断された。まずはその診断までの過程を。

当時まだ生後11カ月だった我が子が、例によって春から通い始めた保育園から毎月のようにウィルスを持ち帰り、アデノウイルスと診断された。幸い子は数日で回復したものの、私も数日経ってから発熱、39℃を越える熱でフラフラだった。
その時、胃腸もウィルスにやられお腹を数回下したってわけ。
参考 : アデノウィルスについて

発熱から2週間、痛みはピーク

それから1週間。何だか肛門の横あたりが熱を持っていることに気付く。座るとジンジンと痛い。トイレも痛い。日に日に座れなくなる程痛くなり、微熱が続く。恐る恐る鏡で確認すると、ブヨに刺された時の様に真っ赤に腫れ上がっているのがわかる。
そして、2週間経つ頃には脳が混乱し始め、自分の意思とは裏腹に出したくてもトイレ(小)が少ししか出せなくなってきた。何だか気持ち悪い。いよいよこれはまずいと思いサクッと調べた近所の肛門科へ駆け込む。

まさかの誤診


近所の肛門科でいっか。これがまず大間違いだった。
※お尻が痛み、何らかの診察をしたい方はぜひ、近所の病院ではなく是非手術実践など多数ある病院を選んで欲しいと声を大にして言いたい。
(仮にも女と言うことで当初無駄にあった羞恥心と、遠くは通うとなると面倒だなと言う単純な理由から近所で適当に探したことにより、私はここからさらに数日耐えがたい痛みと闘い、歩けないレベルまでなったのだ)

とにかく、近場で見つけた肛門科に行ってみた。ベテラン感満載な老医師が私の尻を見るなり「ああ!これは血豆だよ、血豆。今すぐ注射で血を抜くね、楽になるよ」と。既に激痛だった私は信じ切って、血を少量抜いてもらい鎮痛剤を処方してもらい帰宅。

若干楽になった気がしたのも束の間、そこから薬を飲むこと2日。治らない。いやむしろ、悪化している。いよいよ脂汗が出てきて、思考停止。というか、頭が尻のことでいっぱいに。
さすがに仕事どころではなくなり、セカンドオピニオンを求め違う病院を探した。

肛門=おじさん=新橋だ!!

家から比較的近く、実績ありそうな肛門科はどこか。脂汗をかきながらも、20年以上見続けている名探偵コナンで培った推理力をここで発揮する。

肛門系の病気と言えばおじさん達がよく悩んでいるはず…おじさん達がたくさん集まる場所は…そうだ、きっと新橋にあるに違いない……!!!

極めて偏見含む浅い推理だったことは言うまでもない。
しかし、これがまさかの大正解。あの時吐きそうになりながらもiPhone片手に、冷静な推理からの検索が出来た自分を本当に本当に、誉めてあげたい。

参考 : ボラギノール
 全体でみるとやはり男性に多いが、女性も産後は特に痔になりやすいとのこと。産後から約1年、私も弱っていたのか?

耐えきれずタクシーで急行

ちなみにこの時は既にトイレ(小)は全く出せない状態に。これがかなり、何とも言えない気持ち悪さ。
熱も段々と高くなり、もはや身体がアンコントローラブルなレベルに。
それなのにリモートワークで同じく自宅にいた夫はさほど事の重大さに気づいてなく、私が滅多に乗らないタクシーに乗って行く、とヨロヨロしながら玄関に向かうと「えー、電車にすればー?」と呑気に言うので無視して家を出た。

それからはほぼ記憶も曖昧なレベル。タクシーを捕まえ、新橋駅前に急行。駅前は一方通行などあり運転手がモタモタ。待ち時間にも痛みにも耐え切れず「ここで良いです」と言い放ち、確か100mほど歩いた。が、正直失神しかけていたのでどう支払ったか、そしてどこを歩いたかの記憶はない。

緊急オペにて一命を取り留める

それでも何とか辿り着くと、受付の看護師もただならぬ私の形相を察し速やかに診察室へ通してくれた。
入ると、比較的若い男性医師が爽やかに出迎える。もはや羞恥心なんて言葉も思い浮かばぬまま、診察台に横になりさっさと尻を剥き出しにした。

今年一番の膿と称賛

「では診ますね…って(!!)これ、よくここまで倒れずに耐えましたね。かなり限界越えてますよ!」

まじまじと人の尻を診ながら、明らかに医師はテンション上がっている。

そうなのよ、私我慢強いのよ、と思いながらも「早く楽にしてください…」と蚊の鳴くような声で訴える私。
「ではこの場で緊急オペしますね。と言っても切開するだけですから」そう言うと、淡々と部分麻酔をし手慣れた様子でメスが入る。

すると次の瞬間、驚く程の膿と思われる何かが尻付近からドドドドーッと溢れ出た。温かい。例えるなら、尻からマグマが溢れた感じ。何だこれ。医師も看護師も「わぁー!」と歓声をあげ、「今年一番の膿ですよ!!」と何故かよくやったと言わんばかりに称賛される。
そして溢れ出た温かい何か、そして称賛と共に、身体が徐々にスゥーっと楽になってくる。あぁ、助かったんだ私。解放されたんだ。安堵で少し泣いた。


終わりの始まり

「楽になったでしょう、もう大丈夫だよ」ガーゼを挟みテープで止め、やっと尻を仕舞い椅子に座らされた。
「さて。」
「今回の病名は肛門周囲膿瘍でした。アデノウイルスになったなら、納得だね。下痢した時の菌が肛門の周囲に残り悪さしたんだね。で、溜まりに溜まった膿は一旦全部出したからもう安心だけど、今回の件で痔菅が出来ちゃったの。このままにするとまた再発するとも限らないから該当部分を切除する手術が必要です。謂わゆる痔瘻ってやつね。痔瘻根治術、落ち着いてからで良いけどいつにします?」
「???」
謂わゆる痔瘻?いや全然わからない。全然謂わゆるとかじゃないけど、つまり、つまり闘いはこれからだったのね。そこだけはわかった。

参考 : ボラギノール
※私がなったのは上記の③


《参考 : 藁にもすがる思いでお世話になった病院はこちら


こんにちは痔瘻

そこからは毎日ガーゼがお友達。正直、毎月生理もあるから同じようなもんだろ、と思いきやこれが地味に面倒なのなんの。要は、まだ残った膿が下着につかない為の対策で、面倒な人はほったらかしらしいけど絶妙な位置が湿るのは気持ち悪いため尻の割れ目にガーゼを挟む。最後に横方向にビっとテープで落ちないように固定するだけの原始的なメソッド。
しかしトイレの度に(特に女だからか、とふと気付くが)外さないと用を足しにくいし、何なら毎回ガーゼは変えたい。季節は夏。暑い。蒸れる。しかし何もしないのはもっと嫌で、せっせとガーゼと向き合う日々が始まった。
ちなみに、ここまで塗り薬の処方は無し。飲み薬はしばらく炎症を抑えるために処方された。

《おすすめガーゼ》
白十字 日本製 不織布ガーゼ ソフキュアガーゼ 

手術のタイミング

さて、手術をいつにするか。1歳を迎えた我が子を横目に、夫と緊急家族会議。とは言え、医師からもいつでも良い、と言われたもんだから逆に決めづらい。
結果、夫婦で共有しているGoogle calendarと睨めっこし、仕事の山が落ち着き、子の運動会後となる11月下旬に決めた。通っていた病院は入院施設が千葉県と遠かった為、新宿にある別の病院を紹介してもらい晴れて新橋からは卒業した。

膀胱炎併発

痔瘻との関連性は未だ謎だが、ガーゼ生活も慣れてきた8月、今度は血尿が出た。
いよいよおしまいか、と要らぬ事を考えるもシンプルに膀胱炎との診断。近所の泌尿器科を受診し、薬をもらいあっさり治るも、自分の尻に対し疑心暗鬼になり始めトイレがやたら慎重になる日々。

それから数カ月、季節は秋、冬へと移り変わる。毎日毎日せっせとガーゼを挟んでは変えた。
入院先の病院には手術前検査で何度も通い正直疲れたが、新大久保が最寄り駅だったため少しは観光気分を楽しめた。
そして11月下旬。いよいよ入院の日を迎えた。

《参考 : 入院先はこちら

#アラフォー #女 #痔瘻 #痔 #肛門周囲外膿瘍 #子育てママ

後編へ続く


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