ライブハウス
「ここに居ない人も俺は大事にしたいし、今日ここに居る人は、これが生活のためだと思って来たならば、あなた達が明日も生きれるように俺らは一生懸命やります」
そう言って始まったライブ。コロナウイルスの自粛が始まってまだ間もない頃、私はそのライブをインスタライブを通して見ていた。
「本当の意味で死んじゃうかもしれないわけじゃないですか。それでも来てるってことはライブがないと死んじゃうかもしれない人たち、ってことでしょ。そしたら俺はそんな人たちが死んじゃわないように歌います」
私、本当に死ぬことを選ぶことはないと思うけど、でも、なんとなく、死にたいなぁと思うことは毎日のようにあって、それでも毎日を続けられる理由のひとつは「楽しい予定」に他ならない。わたしにとっての「楽しい予定」の代表格がライブだ。
音楽に救われた、なんて言いたくないし、自分で生きる事を選んだわたしの力だって言い張りたい。それでもあの日、私は泣きながらステージに立っていたシンガーを呼び止めて「最近、しんどい事が多くて、でも、今日、あなたの曲を聴いた時、救われました」と伝えていた。
今、ライブハウス、若者に対してマイナスイメージや怒りや鬱憤の矛先が向けられているような気がしてならない。ミュージシャンを含むフリーランスに対しての措置を取らないという政府の方針も、日本での芸術に対して置かれている価値がどれほどのものかということを体現していると思う。
音楽は衣食住に関係ない為、「なくても生きていける」といえばその通りかもしれない。でもすくなくとも今の私にとってはその衣食住を育むために、続けるために、音楽が、彼等の音楽が薄暗い道を照らす光になってくれている。
今の日本では音楽だけで食べていけるというのは出来るには出来るが大変難しい(生活と呼んでいいものなのかすら危うい)現実がある。だからバイトやもしくは正社員と掛け持ちして音楽を続ける人が大多数だ。
世界を少しでも良くしたい、目の前にいる人を幸せにしたいという音楽は、他のどんな企業と何が劣っているのだろう。生活を少しでもより良いものにしてくれるという点で、音楽は実生活に根付いた役立つものだと、私は思う。