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親しさってなあに
アラフィフで専門学校に通いもうすぐ卒業というところまで来ました。学校の授業そのものが楽しくなかったので、辛かった(まだ終わっていない)です。
その分野を学ぶのは好きだけど、カリキュラムや教え方、講師の質、社会人から見るとおかしいだろっと腹の立つ点が多いのですが、鼻から諦めて何も言わないムードでやり過ごすしかなかった集団でした。
中にはそんなことを話せる人もわずかにいて、やっぱり共感は少しの親しさを生みました。
自分が高校、大学の年齢なら、密にお付き合いしたのかもしれませんが、アラフィフとなれば、いい感じで他人が気にならなくなっています。年を取ることで気楽な面もあリました。
誰かとトラブルになるほど親しく接することがないって近所付き合いに近い感覚です。
親しさって、何かしようと思って生まれるのではなく、何かの御縁で話していくうちに、深まったり、お互いが興味を持つ関係になっていくものかと。
さみしいですか?
私はそんなふうに過ごせて楽でした。
昭和みたいなアナログな関係もないし、ライン一つで声かけできる時代、本当に気楽。
だけど、そう言えるのは密に話せる友人や家族、職場が、別世界にあるからかもなってふと思って。
田舎から上京して一人で専門学校に来ている子には、支え合える友人が必要だと思います。
所属するところや自分の役割は、一つにしないほうがいいのかもしれませんね。
うちの高校生の子どもたちも、ドライな関係で学校生活を送っているけど、カラオケだったり部活、なんでもいいけど、対面で話し合えるお付き合いを今だからできることを経験してほしい。
表面だけでと思っていなくても、表面だけになってしまう学校生活がしんどい子もいるだろうし、自分を出せて受け止め合える友達がいる子もいるのだろうね。
昭和の私たちの頃は、仲良くして当たり前だったし、同調圧力があったから、一人で過ごすのも難しく大変だったな。
親しい人が欲しいなら、なんとなくそのうちできるから。無理しなくていいのにね。
一人で過ごしたいなら、無理に合わせなくていいのにね。
周りにこうしましょうよと声を大きくする人がいなくても、それぞれの意思でいいのにね。
指折り卒業を楽しみにしている私てすが、人間関係を差し障り無く過ごせたことが、継続につながったのかもしれません。そんな普通の雑談の積み重ね、授業で困らない程度のお付き合い、そのコミュニケーション力はこれからも必要だなぁと思うのでした。