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それしか

 伝えたいことを言葉を尽くして伝えようとしたところで10%も伝わればいいほうだ、基本伝わらない、楽しさとか嬉しさは簡単に伝わるのに苦しさになった途端伝わらなくてさらに苦しくなるものだ。


人それぞれに認識の程度が違うからこそ、ではあるけれど、全てに影響を受けてしまう自分にとって周りの人間との認識の程度の差はとてつもなく大きく苦しい。

 冗談を冗談として捉えられず悲しくなる私、1つの言葉で裏の意味、その人の生きてきた背景まで全てを理解しようとする私。

このせいで基本、重すぎる、めんどくさい、だるいの言葉をいただくことが多くその度にあ、間違えた、『普通の人』にならなくてはと思う。
『普通の人』の真似事をして『普通の人』になりきるよう努力してもっと言葉を軽く捉えようと努力をした。悲しむと困らせるのでムスッと怒ったふうにしたり。(これは今もやりたくないのに癖でやってしまう)ただその度に自分の心は傷つきなんとなくだけど誰かを傷つけているな、と感じていてそれが余計自分を苦しめ、『普通の人』になりきるのをやめたり、またなりきってみたり…そういうことをずっと繰り返してきた。

  結局私は相手の全てを理解したい、理解なんてできないと分かりつつも考えたい、受け入れたい、あなたが私にした優しさをずっと大事にしたい好きと言い続けたい、と思う人間でそうでしか私は私にはなれない。だから冗談でさえも真に受ける。分かりやすく言うと めちゃくちゃ真面目 なのが私だ。

そんな めちゃくちゃ真面目な私 は 真面目 だからこそ「普通」に拘り、『普通の人』になりきるのを努力したりやめたりをしていたのだ。


でも

「普通」である必要はないんだ。と少しずつ気づき。

言葉を軽く捉えられないからなんだ、冗談を冗談として受け止められないからなんだ、それは普通では「ない」にはならない。私は自分を大事にして欲しい、相手を傷つけたくない、ただ誰よりも相手を大事にしたいだけでそれは「普通」だろう、って。

言葉は凶器であるからこそ重く捉えているし冗談だとしても相手が傷つく可能性のあることは言いたくない。これは「普通」ではないか?って。

もし「こんなことで傷つくの?笑 冗談だよー」と言われても傷つく基準をてめぇが決めるなよ、という話であって、こんなことで 傷つく のは 「普通」だろう?って。

「普通」って人それぞれに違う。だから私の普通を相手に押し付けてはいけないし相手も私に普通を押し付けちゃいけない。そもそもなんでも普通になり得るのだ。

私もまだ『普通の人』になるくせが抜けずついダメなことを言うときもある。でもそんな自分を私は愛せないからそのくせを治そうと思う。

もし私みたいに『普通の人』になりきらなきゃ、悪い言葉や冗談をわざと言わなきゃ、と思ってる人がいるなら、そんなことしないで、って言いたい。だし私みたいな めちゃくちゃ真面目 が周りにいる人は少し考えて、できれば変な冗談言わないで会話してほしい。冗談なんて言わなくても会話はできるから。誠実に 好き とか 愛してる とか このご飯はおいしいね とか 。やさしいことばで。



PS. 私はこの不器用さや全てに真面目になってしまう過敏さを愛そうと思う。


でも 

無理に愛さなくてもいいかもしれないね。私の思うように、あなたの思うように。



 








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