ある演奏会の話
こんばんは。
今回はある演奏会で初めて感じた自分の感情について書きたいな、と思い雨の音が聞こえる中徒然なるままに書きます…
ピアニストとしても好きであり、人としてもとても尊敬している方の演奏会に去年行く機会がありました。プログラムはショパンのプログラムで曲目も曲順も意味のこもったものでした。
演奏はとても素晴らしい演奏でしたし人間性の素敵なところがたくさん見えたものでした。すごく勉強にもなったし何より自分の好きな曲目ばかりだったので去年1番行ってよかったと思えた演奏会です。
ただ初めての感情を持ったのが
プログラムの最後ショパンのピアノソナタ第3番。
この曲はショパンの晩年の作品で珍しく第3楽章をもとに他の楽章が作られた曲になります。ショパンの曲の中で(今のところ)私が1番敬愛する曲で特に3楽章が大好きなんですね。去年唐突に書いたばあばとショパンについてとも深く繋がっている曲で、この曲のこの楽章を聴くとばあばが亡くなったときに母がまだ何もお返しできてないのに…と泣いていたことをよく思い出します。
(ばあばとショパンについてはこちら)
この曲について自分は死者を尊びながらも死者に対する様々な悔恨を感じその悔恨や悲しさを足枷に前に進むような音楽だと感じていて。死者を尊ぶ音楽はクラシックには多いですが(所謂、葬送曲のことですね)このショパンのピアノソナタ第3番だけはものすごく特別な葬送曲だと私は思っています。私たちが度々感じるぎゅっとする苦しさを音で表していて。
って前までは思っていて。
というか自分がそう思い込みたかったんです。
ただ苦しさとか悔しさに寄り添う曲なんだって
でもそのある演奏会での彼の演奏は希望が垣間見える演奏でした。
そこに私はものすごい怒りを感じてしまって。自分と解釈が違うから怒ったわけではなく、彼がこの曲の、この楽章に、希望を感じていることが私は心底羨ましかったんですね。
人それぞれ地獄は違いますしその人の辛さや苦しみなんて分かりません。でも彼には『希望』を感じれるくらいの環境で生きてこれたこと少なくとも『未来』に希望が持てる人生であったことを演奏を聴いて感じてしまい、というか知ってしまい羨ましさでいっぱいでした。
初めて怒りを感じ、初めて、しばらくは彼のピアノ聴きたくないって強く思い…
そのときすごく苦しかったです。
なぜならまだ自分が今までの過去の環境を受け入れることができず自分よりは良い環境で生きてきたであろう赤の他人に怒りを覚えたって自分が1番わかっていたからです。それがものすごく子供っぽいこともわかっていたから彼に、というよりは自分への怒りでいっぱいでした。
本当は私も希望を感じたかったしショパン特有の心の温かさや深いものを自分でも認めたかったからなんです。
情けないなあって気持ちでいっぱいでした。
でもその怒りを感じた後理由をしっかり理解した上でまた自分の過去と対面し向き合うことができたから今思えば本当に良い演奏会でした。すごく私的な理由になりますが。笑
ばあばとショパンについてnoteを書いた時も演奏会聴いた後だったかもしれません。ばあばのお墓に行って彼女を放した後、許せなかった母を許そう、向き合おう、と思い許すことに決めたのもその時期でした。
怒りを感じるってあまりないと思いますがだからこそどうして怒りを感じたのか明確に理解してあげたいなって思います。
ちなみにですが私の好きな演奏のショパンピアノソナタ第3番はソコロフの演奏なんですが良ければ第3楽章だけでも聴いてみてください。
大丈夫だよってあったかく包んでくれる音とあまり他のピアニストが弾かないスローなテンポで弾かれていてソコロフの演奏を超える演奏はないと確信しているくらい大好きです。初めてソコロフのこの演奏を聴いた時ばあばに会いてくて涙が止まらなかったです。ソコロフはすごく優しくて感情豊かな人だと思っていて感情をそのまま音にしたかのような演奏をされます。
この動画の18:27から3楽章になります。
かなり長くなってしまいました…
今日の唐突な徒然でした。