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トマコマイⅤ -高砂町-

今は無き市営住宅。2021年10月に老朽化で取り壊しになりました。
1階は市営ひまわり保育園でしたが、解体と同時に廃園となりました。
向かいには、元苫食工場
表はハイツだが、裏に回ると工場っぽい佇まい。苫食は寿町から昭和38年に高砂町に移転してきたらしいが、この建物61年も経過しているの?
まだここで苫職が稼働していた頃は、あの階段から工場の中が通行出来るように常に開いていて、伏見通りの商店に行くときは勝手に工場の中を通っていたっけ。本来は部外者は通ってはいけないのだろうけど、子供なので怒られなかったんだと思う。
31年前はまだこっちの工場使っていたんだね。
トマちゃんの車が置いてあったので撮っておいた。今はこのワゴンも使ってないんじゃないかな。平日はいつも麺の匂いがしていた。もう苫小牧には住んでいないけれど、苫食の商品を見かけると懐かしくてつい買ってしまう。
この市営住宅はほんとにいろんな思い出があった
部屋は206号室。3LDKだったかな。この部屋で不気味な出来事があった。
ある日、私と母は寝室、姉はリビングのソファに寝てて、朝起きたらリビングの床と壁一面が血だらけになっててさ。飼ってた猫2匹も家族全員誰も怪我してないし、誰かが入ってきて騒いだ形跡もない。リビングに寝ていた姉は何も気づかずに寝ていたけど、顔に少し血がついてた。 血はチョコをスプーンでくり抜いた感じにほうきで掃けるくらい完全に乾いて固まっていて、なんでだろう、どうしてだろう。と3人で首をかしげるだけて警察に届けるわけでもなく終わったという、気持ちの悪い謎の鮮血事件があったのが206号室。 元中野から引越して来た時、玄関入ったら左側に1畳ほどの物置があって、そこに御札が貼ってあるから気持ちが悪いなとは思っていたのだけど・・ この団地が今はもう無くなったので話せることだけど、今でもあれは何だったのかと不思議に思う。
保育園の屋根部分になるところは柵を超えたら降りれるのだけど、ここで友達と火遊びしてたら通報されて当然怒られたよねw 小学生の頃は悪ガキだったなあ。
この1階の階段窓をつたって、秘密の場所に行けるようになっていて
あの左のボイラー室の上に登れるのだ。ガキの時はあそこを秘密基地としていたんだけど、ある時それもバレて窓封鎖されてた(笑)子供の頃ってあちこちに基地作って遊んでたよね~
幼稚園がやってない日はこの場所で自由に遊んでいました。夏休みはラジオ体操もやってたっけ。
男子と石の投げあいしていたら左胸に強打したこともあった。恐ろしい遊びだね。 とくに隣の205号室の金子こと金たんとは悪さばっかりしてた
こんなにこの市営団地写真撮ってるの世界でも私だけだと思うw
最後に最上階から。もう二度と見られない景色。まだまだ思い出あるけど、胸に秘めておこう。
ここは何かの現場施設だったのかな。
団地の向かいに何十年も放置の家。
姉の友達が住んでいたのだけど、引越してからずっと空き家のまま
団地の裏(神社側)から東に向かうと、謎の施設がある。
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どういうことw スタローンと本当に関連あるの?? 創立者の飯田豊氏は、本格的超健康―クエン酸微量栄養素という著書も出版していて、北海道苫小牧市幸町3番地生まれ。家具屋や旅行、土木、塗装業など多種多様な仕事をしてきたが癌になり、予防医学にも無知で自分自身の命を蔑ろにし、仕事に引きずり回されたことを後悔。免疫病ガンを克服する事ができぬものかと、1984年に日本クエン酸予防医学研究所創設したらしい。
危険立入禁止とかって看板ついてるけど、白老牛ステーキ&喫茶店 健康相談所にもなっているという・・もう大分昔から閉鎖してるけど、お客さん来てるのまったく見たことない。
現在この建物は看板もツタも取り外され、向かいのお寺の会館に使用されてるようです。
団地から東に向かうと、あけぼの公園があります。
この公園に猿をペットにしている人が遊びに来てて、
触らせてもらおうとしたら引っ掻かいてきて猿トラウマになった。
あけぼの公園は下水処理場と繋がっていて、処理場の丘が冬になると子供たちのソリ遊び場になってた。
子供の時以来に丘の上に登ってみる。なぜ公園とセットなのかわからないけれど、この苫小牧下水処理場センターは昭和34年に道内初の簡易処理開始第 1 号として最終処理場(特定事業場からの排水や生活排水等を受け入れて処理を行う施設)の運転を開始したようだ。そんな歴史あるところでソリ滑っていたとは
この建物お米やさんとかだったかな? 
しばらく会ってなかった父親がこの店から出てきて、びびって逃げた記憶がある。今はもうオヤジはこの世にいないけど、自分の子供に逃げられるなんてショックだったろうな。
悲しいなくなり方をした彼は幸せな人生おくれたのだろうか。
階段のないアパート。かなり長くこのままだったけれど今はもうない。
今も通れるのかわからないけど、高砂団地からこの細いお寺の隙間を抜けて海へ遊びに行っていた
昔はこんなフェンスもなかったから、転落防止で設置されたのかな
振り返ると王子製紙。暮らしの景色の中に、いつもあの煙突が見えていた 40年前はこのベンチもなくて、苫小牧川からの支流が流れてたけれど、川は埋め立てられ遊歩道となったらしい。
テトラポットも基地にしてた。なぜ子供は秘密基地を作るのか 探検ごっこや警察手帳を作ってGメン75ごっことかね
海と工場のまち苫小牧 故郷高砂町のキロクとキオク。


撮影2016年  camera Nikon F3 / Nikon D7000

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