耐え忍び、乗り越えていく
東京では、昨日、「要請するなら、金をくれ!」とシュプレヒコールをして、総理私邸までデモをした人たちがいました。
コロナ禍で、密接も3密の1つとして禁忌のはずであり、この時期にデモ行進を行うことは好ましくありません。
しかし、困窮者、不安を抱える市民の声を無視してはいけないのは間違いないと思います。
表題が過激なのでご紹介するのもはばかられますが、三橋貴明さんのブログの一節がズバリ指摘しています。
<以下引用です。>
「政府に頼るな! 金クレクレ乞食が!」
「事前に対策していない方が悪い。自己責任だ!」
と、困窮者を批判する声が聞こえていますが、貴方たちが得ている所得にしても、誰かが消費、投資として支出してくれたからこそ、創出されたのですよ。
…他の国民が貧困化し、支出を減らすと、貴方も貧乏になるのです。同じ国民を攻撃することは、自分を刺しているのと同じ行為です。(引用終わり)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12588479884.html
また、糸井重里さんの『ほぼ日』でも、11年前の2009年4月に、あの高山義浩先生が、こうおっしゃっています。
<以下引用です。>
「新型インフルエンザ対策は公助、つまり公的サービスだけでは対応しきれません。地域であるいは事業者での支え合いのネットワークをつくっていくことで、社会を支えていくシステムが必要なんです。」(引用終わり)
https://www.1101.com/deardoctors/2009-04-09.html
この高山先生のお話を読んで、少し衝撃を受けました。
この10年間、わたしたちは、わたしは何をしてきたのだろうか、と。
まだ、日本は終わっていません。
敗戦、阪神淡路大震災、東日本大震災、毎年やってくる台風を乗り越えてきました。
まだまだ、これから。
ここから。