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「バカの壁」を超える梯子の作り方(2)

【まずは論理が大切、そしてその先にあり、それを支えるもの】


脅したり、騙したりして、一時的に相手を言いくるめるのではなく、きちんと理解させ、納得させた上で、こちらが考えるのと同様な結論に至らせるために最低限必要なものは、「論理」です。

「論理」をもって交渉、説得するには、実際にどうすればよいのか、簡単に触れておきます。

1 三段論法

議論の方法は、ギリシャ・ローマ時代から研究されています。
アリストテレスの「論理学」では、三段論法による議論の方法が記されています。
これこそが、現代も重要視される、最も基本的な方法です。

三段論法は、「大前提」、「小前提」および「結論」という三個の命題を取り扱います。

具体的には、「すべてのAはBである。すべてのBはCである。そうであれば、すべてのAはCである」というように議論を展開します。

この論の運び方は基本中の基本であり、相互に誤解が生じにくく、相手も理解しやすいため、裁判やビジネスの世界、日常生活の中でも必須の知識です。
A=B かつ B=C →  (ほしい結論)

この三段論法と合わせて、議論における必須の知識が、言いたいことを論理的に説明する、演繹法と帰納法です。


2 演繹法

演繹法とは、一般的な前提から、より個別具体的な結論を得る論理的推論の方法です。

具体例としては、次のとおりです。

大前提:「ソクラテスは人間である。」
 ↓
小前提:「人間は必ず死ぬ。」
 ↓
結 論:「人間であるソクラテスは必ず死ぬ。」


3 帰納法

個別的な事例から一般的な法則を導くための論理的推論です。

帰納法は、あくまでも確率や蓋然性の高さを示すだけだとも言われます。

具体例としては、以下のとおりです。
小前提:「人間であるヘロドトスは死んだ。」
「プロタゴラスも死んだ。」
「ツキディデスも死んだ。」
 ↓
大前提:「人間は、必ず死ぬ。」

結 論:「人間であるソクラテスも死ぬ。」


4 裁判の場合

裁判の場合も三段論法が用いられます。裁判で用いられる場合には、特に、法的三段論法と呼ばれます。

多くの場合、三段論法の演繹法が用いられます。

裁判は、法律に、個別具体的な事実を当てはめ、当該個別具体的な事件についての解決基準としての判決を下すという構造になっています。

大前提:法律(具体的な条文)

小前提:事実(当該個別具体的な事件で発生した事実で法律条文の要求するもの〜主要事実といいます)
 ↓
結 論:判決(どちらの当事者の主張が正しいか最終判断)

この三段論法・演繹法を、法的三段論法といいます。

多くの場合、法的三段論法というとき、この三段論法・演繹法がイメージされます。
所与の法律要件が存在し、その法律要件に該当事実のうち、自己に有利なものを主張立証して所与の法律要件にあてはめた側が勝つという、裁判の構造自体が三段論法・演繹法だからです。

また、一般に、交渉相手を説得する場合も、しばしば意識されるのが、一定結論をサポートするエビデンスを用意して、説得する、三段論法・演繹法の方がポピュラーなのではないでしょうか。
三段論法・演繹法は、物事の本質、原理原則、制度趣旨からして、こうあるべきだ、こうなるはずだ、とストレートに切り込むので迫力があります。

ならば、三段論法・帰納法はどうでしょうか。
裁判では、三段論法・帰納法は必要ないのでしょうか。

裁判の構造自体は三段論法・演繹法なのですが、実は、三段論法・帰納法も裁判の場では次のような形で用いられています。

小前提:個別具体的な様々な事実 〜間接事実といいます

大前提:経験則の存在(一定の事実や事象が存在した場合、他の事実や事象の存在を推認させる事物に関する法則)
 ↓
結 論:事実(当該個別具体的な事件で発生した事実で法律条文の要求するもの 〜主要事実といいます)

実は、裁判の場ではこの三段論法・帰納法がしばしば重要な役割を担います。

長年弁護士業務に携わると、案外、この三段論法・帰納法をおろそかにしがちになります。

そもそも、三段論法・演繹法が使えないか、三段論法・演繹法がそのまま使えない局面で、三段論法・帰納法が真価を発揮します。

当該個別具体的な事件で発生した事実で法律条文の要求するもの(主要事実)の存否を証明する証拠が存在しない場合、三段論法・演繹法は使えません。例えば、売買契約を締結したかどうかが争われる事件で、売買契約書が存在しない場合は、売買契約書で売買契約の事実を証明できません。

また、証拠が存在したとしても、その証拠だけでは事実を証明できない場合には、三段論法・演繹法をそのままでは使えません。例えば、売買契約は口頭でも締結できるとされていますが、当事者が目的物を売りましょう、買いましょうと言って、双方がにこやかに握手している様子を見たという証人がいたとしますと、この証人の供述は、売買契約締結を証明する証拠となります。
ただ、その証人が、売買契約当事者のうち、売買契約締結したと主張する一方の側と親しい人物だった場合には、その供述の信用性に問題が生じます。その場合、その供述だけでは売買契約の事実を証明できません。

このように、三段論法・演繹法が使えないか、そのまま使えない局面で、三段論法・帰納法を使わざるを得ない状況になります。

この点、司法試験合格者が入所する司法研修所では、次のように教えられています。
a 直接証拠により主要事実を認定できる場合(直接認定型)
 要証事実である主要事実について、これを認めるに足りる直接証拠があるときは、その直接証拠のみを挙げて、端的に事実認定する。(「10訂民事判決起案の手引」p.79)
b 間接事実から主要事実を推認できる場合(間接推認型)
 要証事実である主要事実を認めるに足りる直接証拠がないときには、間接証拠によって認定した間接事実から主要事実を推認するしかない。(前同p.81)

三段論法・帰納法を用いる、上記のb型の場合、弁護士は、細かな事情、事実を沢山拾い出し、経験則(一定の事実が存在した場合、他の事実の存在を推認させる事物に関する法則)を使って、裁判官に、当該個別具体的な事件で発生した事実で法律条文の要求する事実(主要事実)が存在することを認めてもらわねばなりません。

三段論法・帰納法(b型)を用いて、裁判官に、主要事実が存在することを認めてもらうこと、裁判官が、三段論法・帰納法によって主要事実が存在することを認めることを、「推認」といいます。

三段論法・演繹法(a型)で、主要事実が存在することを証拠によって裁判官に認めてもらうことは、「証明」といいますが、「証明」に比べて、裁判官に「推認」してもらうことは非常に困難で面倒なことなのです。

「証明」では、証拠 → 結論という一直線であるのに対し、

「推認」では、多数の細かな事情(間接事実)を拾い出し、」それらが存在した証拠を用意し、それら間接事実の集合が示すものを、経験則をいくつも使って説明する、という面倒な作業が必要になるのです。

「証明」の場合:証拠 → 結論

「推認」の場合:
(証拠→事実①+証拠→事実②+証拠→事実③…)☓経験則 → 結論

弁護士は、得てして、当該個別具体的な事件で発生した事実で法律条文の要求するもの(主要事実)について、はっきりした証拠がある事件をより好みし、はっきりした証拠が存在せず、主要事実の「証明」が困難な事件を避けます。

はっきりした証拠が存在し、主要事実の「証明」が容易な事件の相談に対しては、『よし、やりましょう。』と即決できますが、そうでない事件では、お断りするか、『無理そうですが、やってみましょうか。』という態度になります。

無理そうな事件において、そういうおざなりな態度でするのでなく、ベストを尽くし、裁判官による「推認」を得るための努力をしつこく行っていけば、挽回できる確率は高まるし、弁護士としての技量も高まりますが、努力もしないで、「やっぱり、無理でしたね。」でお茶を濁していくならば、弁護士の技量は高まりません。

最近、弁護士が多数所属する事務所で相談したのだけれど断られたと言って、我々のような少人数で細々と運営する地方のごくふつうの弁護士事務所にやって来られる相談者がたまにいますが、やはり難事件の割合が圧倒的に高いです。

難事件で、しかも一旦諦められた相談者なので、弁護士としては技量を試し、高める好機であり、うまく解決できたら喜んでもらえること間違いないので、ありがたいことです。

本題から外れてしまいました。

さて、ここまでについて、弁護士や法務部の関係者以外の一般の方々にとっては、やや難しかったかも知れませんが、
私は、これまで法律に関わったことのない一般の方にこそ、分かって頂きたいと思って、今回の原稿を書いています。

裁判は、何のためにあるのでしょうか。

裁判は、国民の権利利益の実現を目標としています。

簡単に言えば、どちらの言い分が正しいと認められるべきか、確認する手続です。

どちらが正しいか確認するといっても、単に確認するだけでなく、強制執行等の強制力を伴う公の手続ですから、間違いがあってはなりません。

裁判所の判断に間違いがあってはなりませんから、間違いなく、正しく判断できるよう、手続ルールがしっかりと定められています。

その意味で、裁判は、どちらの言い分が正しいかを確認、判断する、この世で最も洗練され、磨き抜かれた手続である、と評価できます。

それゆえにこそ、裁判手続のルールや、裁判に関わることで得られた気づきは、一般のみなさんの意見の調整や、交渉や、説得において、必ずや、役立つはずであると私は思うのです。

私は、四半世紀、裁判に関わる生活をしてきて、人と人との間に生じる対立、障壁である「バカの壁」を超えさせてくれる魔法の梯子のヒントが裁判手続のルールの中に存在するのに気づきました。
その魔法の梯子は、実は、既に、今日、ご紹介させて頂いた、裁判での判断の仕方に隠れています。

明日以降の、この原稿の続きで、「バカの壁」を超えさせてくれる魔法の梯子の存在とその使い方をご紹介していきたいと思います。


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