議論、交渉、説得の理想形
議論、交渉、説得は、何のために行うのでしょうか。
なぜ、力づくで無理やり言うことを聞かせないのでしょうか。
基本的に、人は個人として尊重され、自由が保障されているからですね。
その自由、権利、利益は、法律で保障されています。
つまり、いざとなったら裁判所で守ってもらえる、ということです。
なら、法律に反しないすれすれのところで、脅し、騙し、泣き落としをすればよいかというと、昨日書いたとおり、いつかリベンジされる恐れが生まれます。
自分でなくても、他の身内、仲間、会社にとって、リスク要因を抱えることになります。
私達は、社会に生きています。
社会は広いようで、狭くもあります。
情報社会ですから、悪い情報はすぐさま全世界に共有されます。
脅し、騙し、泣き落としの手口までバレてしまいます。
社会にあって、相互依存して生きているのが人です。
潰し合いでなく、お互いの関係を補い、共存し、共栄、共生する。
そのために生み出された工夫が、議論、交渉、説得の技法ではないかと思います。
その意味で、脅し、騙し、泣き落とし的な議論、交渉、説得術は、同じ相手からは、また、手口がバレている社会内では、二度目の成功がないというだけでなく、原理的にもあってはならないものだと言えそうです。