見出し画像

12 経験を語ると経験が語る

郷里の学校の関東在住者の同窓会。何十年かずーっと続いており毎回近況報告が楽しみです。やはり30代40代のころは会社と家庭の成果を披露しあい、50を過ぎるとふり返る話に移っていきますね。そういう歳になると「経験を語るから、経験が語る」に全体のムードが変わっていったような気がします。聞く側のみんなの姿勢もそうかもしれません。

50歳くらいの時だったか、自己を見つめるという放送大学のラジオ講座を聞いていてこの言葉がグサッと刺さりました。科目を履修したのではなく何冊かのテキストを取り寄せてたまに何となく聞いていました。それでもその時点で思い当たることがいっぱいあって、そのあとも自分はおんなじかもしれないです・・。

Facebook に、わかっちゃいるけどやめられず経験を語り続けていました。 あれは友人知人対象なので、いわゆる忖度を加減している自分にくたびれたこともあって7年書いて昨年やめました。やめたら想像以上に楽になりました。それにくらべて note は、無記名・固有名詞なしで書けるので忖度は無用と思うのですが、それでもまた経験を語りそうで怖い感じもします。

昨年、ブログって何だろうと検索していて note を発見した際、説明書きに何をしたかではなく何故そうしたかが大事って書かれていたのが印象的でしたが、経験を語ると経験が語るということとどこか関係がありそうな気もします。年齢なんてひとつのものさしでしかないかもしれません。若い方でもご苦労が大きかったり考えが深い方は、おそらく経験が語る身になられているのでしょう。

もっともまだほかの方の投稿を読むに至ってないのですが・・。ほかの方のを読むとかほかの方に読んでいただくという考えは抜きに、自分の頭を整理する日記として書き記さないといけないと思っているところです。以前からずーっと考えていた意味での、自分流のエンディングノートにしたいです。