49 選ばれないかもしれないというリスクを引き受ける
「選ばれないかもしれないというリスクを引き受けない限り、ここで学びたいという若者たちにメッセージを送れない」・・ものすごく強い言葉です。知の巨人などと称する人もいる神戸女学院の内田樹さんが、東本願寺系の大谷大学での講演会で語られた言葉です。大学の個性が無くなり、ただ就職斡旋のための予備校化してしまうと、探求心がある若者が失望するだろうとの警鐘です。
大谷大学が「選ばれないかもしれないというリスクを引き受ける」という言葉を受け容れて個性的に展開して行かれるとしたら頼もしいな、嬉しいなと思います。たまたま西本願寺系の門信徒団体とご縁があり役目は引退した身ながらも、東西関係なく本願寺が選ばれるとなると嬉しくないわけはありません。役目を担っている時は、宗派の門信徒団体は何のために存在するのかを考えまくっていました。
当団体に属するご高齢者の居場所づくり、門信徒の拠り所となる町や村のお寺の維持、厳しい環境における宗派全体の維持、宗教界における宗派の立場の維持、社会における宗教の役割の維持。そして大好きだった最後の職場のこと・・・。いやいや大きく広げたところで、僧侶の方から見ると所詮は門信徒に過ぎないと思われていてテリトリーは限られていたので、できることをコツコツ務めたに過ぎません。
とはいうものの、すばらしい智慧という資産を持ちながら大衆が宗教から離れていく自我代の流れの中で、現況の団体に属するご高齢者の居場所づくりだけに終わったら、その存続はせいぜいあと10年だと思ってやってきました。そして、まとまって活動する門信徒が居なくなると個人個人のご家庭がお葬式やご法事でしかお寺と繋がらなくなり、それも必ず縮小するので町や村のお寺は社会にはほとんど重要ではない存在になりそうで寂しいと思っていました。
だから東本願寺系の大学が、学びたいという若者たちを刺激していかれるとしたら嬉しいです。西本願寺の龍谷大学においても、もちろんです。この話を企業の経営にそのまま移行するとかなり無理がありそうな気がします。リスクを引き受けて目には目をの戦いを繰り広げている中で競争に負けると、大学の場合よりもっと急激にダメージを受けるでしょう。
リタイアしたステイホーム爺さんなのでこの先の議論は避けますが、内田樹さんのお話に照らしてみると、現状の宗派の門信徒団体においても、お葬式やお仏壇などの供養産業においても何かやるべきことをやれていない物足りなさが、心の奥に引っ掛かっています。
そんな時に、先日投稿した桑田真澄氏のひとりのコーチ業を超えた大きな理想や球界の構造に投げかける創造的な目線に感心します。内田樹さんが伝染病の拡大化において「宗教家は、Big Picture を描いてほしい」と仰っていたことと重なるように思います。われわれ門信徒団体に身を置くものの中には、宗教家ではないものの宗教家の方がたと共に歩む気持ちを捨てていない方々がたくさんいらっしゃることを知っています。それが、自分の救いです。