50 宗活
元旦に始めた note をひと月続けました。組織を離れて迎えた新年が note のおかげでまとまり感のあったステイホームになりました。毎回、前後5本くらいの流れはつかみながらも全体は見えぬまま書きなぐった50本。これにあと付けで括って項目を振ってみたら、脳の皴にこびりついていたことがMRI 写真のように見えました。
自分はとてつもなく大きなはたらきのもとに生きている小さくて、でも大切な存在。もし他人が自己肯定感を感じられるように関われたら、反作用として我が自己肯定感になる。その営みを包括するのが私の「宗活」です。
「救いとは、居場所があることと往く先がわかっていること」これは、昨夏にご往生された厳しい講師からいただき、根本に置いていることばです。教わって以来6年、自分なりに掘り下げて考えたりします。「自分の外側と自分の次の世代に居場所を提供することが、自分の居場所をさらに心地よくする」そのベースに「生まれてきた起源と死に切る先を想像する感性が欠かせない」のだろうと思います。
忖度をせず、締めの写真を貼りました。文責は "bench_warmer_844" であり、実名のわたしではありません。"be の肩書き" を使い、本音を隠すこと無く書いて気持ちが軽くなりました。
今後、実名で外と接する場合は場をわきまえて行動します。note をどのようにするかは、まだ決めかねています。