② 穴があったら入りたい
昨日から、国際的視野においても極めて重要な任務を担わなければならない組織人の問題で、その資質を問われる案件が報道されています。その資質にあたる内面的な部分で、自分自身に思い当たることがあるので触れたいと思いました。大きな大きな問題とすみっこの自分のしょーもないことを混ぜて書くのは場違いと思いつつです・・。
かの人物が何年か前に取った行動が、セクシャルハラスメントにあたるのではないかという報道の件です。街頭インタビューの市民の声からもそれが聞かれ、どうなんだろうと考えることになります。おそらく評論家とかコメンテーターも、例によって何やら申されるのでしょう。
自分がガキの頃のしょーもないセクシャリティ感覚ではありますが、異性に対する言動がへたくそで思い出すたびに恥ずかしくなり一人で赤面する思い出が数回あります。酒を飲んでいた時でもなく手を出したのでもなく想いを口にしただけですが、相手に不快感を与えたとともに同時に強烈な劣等感を感じてしまったことです。一番こたえたのは「わー気持ち悪いー」と言われた時です。これ以上書きたくありません。あの数十秒が人生から抹消できないかと思います。これを前出の他人様の問題に照らして思いだすにいたって、後悔以外の何もありません。
話を戻すと、かの人物は市民の声に心底から後悔して苦しみを感じておられるのは間違いなさそうです。記者会見での反省の弁から、そのことを疑う余地はないと思います。ここでその苦しみについて思うに、立場の違いを利用して高圧的な言動を行った場合と、広い意味でのセクシャリティの問題でただ欲望に従って取った言動では、当人の苦しみの中味は全く違うのではないかと思います。
前者の場合ならば市民からの非難の声は当然で、当人の苦しみは立場の違いを利用してしまったことへの深い後悔になりましょう。でも後者の場合だと市民の声はむしろ無用で、当人の苦しみは後悔というよりセクシャリティという内面の問題に対する感情ではないでしょうか。行動を取った相手からしても、いずれの場合も不快な思いはされたでしょうけど、前者と後者では不快感の中味が違うと思います。
それをすべて含んで反省される中でご当人が今回の重責を引き受けようとされていることに、覚悟のほどを知る思いがします。私見ですが、この方が前者の行動を取られたら重責は引き受けられなかったかもしれない気がします。そして後者の問題であれば広い意味でのセクシャリティの深さによっても違うでしょうが、いずれにしても苦しみは自分の内面に課すしかなく今回はそれを課していこうと決心されたように思います。あの数十秒が人生から抹消できないかと思いながら、そんなことよりももっと凄い重責を背負うことで世間に対峙しようと思われているのではないでしょうか。もし私見があたっているのであれば、この禍の中で、アスリートたちがオールジャパンでまとまって欲しいなと思います。
自分に照らして思うに、二度と顔を見たくない人と二度と顔を見られたくない人が居ます。(ただし過去に自分を厳しく指導してくださった方のお顔はそのどちらでもなく、過去に自分がいじめられた人の顔もどちらでもありません。すでに苦しみは解決済みだからです。)
顔を見たくない人とは今後お会いしてもポジティブなことがまったく期待できない人で、顔を見られたくない人とはもし会ってしまうと穴があったらはいりたい気持ちが抹消できない人です。仏教の四苦八苦でいうと、怨憎会苦と五蘊盛苦の違いかなと思います。しょーもないセクシャリティの範囲であったとしても五蘊盛苦がキツイ場合があります。ほんとうに人生から抹消できないかと思います。
大きな大きな問題とすみっこの自分のしょーもないことを混ぜて書いたのは、そうでもしないと書けない自分の恥部だからです。