「丁寧に生きる」ことを忘れた10日間

先日のノートから10日弱。

いろんなことを動かし、いろんなことが変わり、知らなかった世界を知り、少し前の自分の時間の使い方に戻り、

ノートを読み返して、「ああ、そうだった」と背筋が伸びて、自分の心の声に向き合うことを再開しようと思えた今。

色々「動かした」こと

今月終わりにイベントを開く。完全にプライベート。

そこの集客やら、そもそものイベント内容やら、あらゆることが動いた。

削ったメンバーもいるし、思い通りに人が動いてくれなくて、「人を動かすってやっぱり難しい」って思った。

そりゃあそうだよね。一イベントへの捉え方は様々で、中心で動いている人の気持ちや時間の使い具合、心配具合は、どう考えてもマックスだよね。

その周りにいる人に、「同じ温度感」を求めたところで、そもそも難しいのよね。

後にも記載するけど、会社での役割と立場が変わる。リーダーシップを持ってあらゆる人を動かしていくことになる。社内外問わず。

オンラインより、当然オフラインのコミュニケーションの方が人を動かしやすいし、必要なことだけではなく仕事以外のことや日常的なコミュニケーションも重要。

「自分のようには、どんな近い人だって同じようには受け取ることはできない。それは、私だって」


他、動かしたこと。

商談を動かそうと思って、なかなか反省の多かった10日間でもあった。先々のことを考えて、そこから先回りして先手を打っておくことが大事なんだなって。

でも思うのは、失敗なしには人って学べないし、学んだことなんてないし、失敗をすることで誰かを悲しい思いさえたり疑問を持たせてしまったり苛立たせてしまったりすることでしか、「至らなかった自分からの脱却」って難しいなと。

失敗するのが怖いし嫌だし恥ずかしいし、その瞬間自分を襲う感情はぐるぐる気持ちが悪くて、鼓動も早くなって余裕がなくなって他人に当たったりしてしまうんだけど、それが嫌で「責任」というものから逃れようと思ってそこそこの仕事を望む本能だと思う。

失敗ってマジで嫌だけど、失敗から学び変わる自分の行動と、信念って、強いんだよなあ。


「変わった」いろんなこと

役割が変わる。と打診された。

なんだか、寂しいという感情が(あえて言語化するなら)溢れて代表の前で泣いた。

その感情の名前がよくわからなくて、今日はお父さんとの電話でいろんなことを話してみた。

何度も「自分にはこの感情の名前がわからない」「どっちの方がやりたいかもわからない」と言葉にした。

難しい。今しか、選択できないことはたくさんあって、でもそのチャンスが降ってくるのってなかなかなくて。自分にしかできないことがあるって思うこともできるし、自分に期待してくれているってことを感じることもできる。

大事にしていて、それが実ってきてきた過程を、本当はもっと大切にしたかった。自分なりに覚悟を持って、フィールドセールスをやってきて、そこに向き合うことで、一つひとつ色んなことを気づいてきた。

このままいけば、精神的にも学びの数的にも、もっと上の世界を見れると思った。

今まで見たことのなかった世界が観れた時に、自分が自分に勝って獲得することができる立場や、承認や、「自分への自信」「この会社に入社したことが正解だったことの証明」ができると思っていた。

その世界まで、もう少し。もう少し。

一生懸命登っていたはずの階段を外された感覚。


これを書いていて思い出したのは、半年近く前もそうだった。

目先のことでいっぱいになって、必死に向き合っていた最中に、急に「来週からこのポジションで」って打診をされた。

できると思ってもらえたから。登ってきてほしい世界があると、ポジティブに打診をされたことはわかっているけど。

だから、「頭ではわかっていて」イエスと言った。それ自体は、とても素敵な前進だから。

でも、「感情が」ついてこないことを知った。

走り続けて、先まで見て、あんなことこんなことを想像して、自分自身の弱いところも把握して、それを詰めつつ、衰えない知識をインプットして、最前線に立ち続ける。

自分が作れる組織があることを。自分がいることを価値を創造できる環境があることを。誇りに思っていたし、大切にしたかった。

また、新しい世界が待っている。組織としては、もう先へ先へ進まないと自転車操業をすることになる。

でも、個人としては?もっと頑張りたいって思える商談もあるし、もっと自分が向き合いたいって思っている課題がある。「もっと先を、これからの自分のためにも、組織のためにも見たい・成長したい」そう思っている。

残っている商談や、取引で、この限界に取り組んでみるか。

最後だと思って、それぞれの商談を、今まで以上に準備して、練って、想像して、時間配分と相手の次回アクションを握って、前に進めること。進める感覚をつかむこと。

それが、商談に自信のない、自分の葬り去り方。

コミットしよう。


そしてもう一つ、変わったこと。

先月の一ヶ月は、自分なりに「チャレンジ」をした月だった。

この会社のことを愛せるか、自分のことを愛せるか。

必要な知識が変わり、どんどん先で変わりゆく決定事項にうまく心が着いていなかった。本質的な理解が追いつかないから、商談ではいつも疑問と不安が心につきまとった。

「うまく話せるかな?」「うまく伝えられるかな?」不安な黒い雲が、自分の心を覆って、それが苦しかった。

それを埋めるための時間を創出することもできていなくて、土日は「オンオフ」の白黒を仕事への不安から逃れるために必死に求めた。

自分自身の人生を、仕事以外のものでも埋めらえれるように。色づけることができるように、どこか後ろめたさと逃げを抱えながら。

それ自体は決して悪ではないのに、仕事で埋められないことを直視することができていなかったのは事実。

その自分から、年末年始の時間を使ってちゃんと向き合うことで、目先の変化をちゃんと咀嚼しようとした。

実際、いろんな本を読んで、根本からの理解に向き合って、進歩ができたおかげで、年始の目標を立てる際は心が晴れていた。

「この一ヶ月は、リスタート。自分への後ろめたさをどんなに小さなことでも感じないように時間を使うことで、自分自身を愛せるか、コミュニケーションが必然的に増えることでこの組織を愛することができるのか。」

自分が背中を向けているときは、いろんなことの「ネガティブ」に目がいく。それを深く体感して、そんな自分に嫌気がさした時期もあった。

誰かがこうしてくれないから、答えてくれないから。だから私ができないことは当然だし、それって私が悪いわけではない。

誰かが悪いってことは当然ないんだけど、全くもってヘルシーな思考回路ではなかったことは確か。

その自分に気づいて、それを補う時間を設けられたのは、本当に救い。

その「一ヶ月のチャレンジ」をやってみて、結果、私はどうだったのか?

自分自身を愛することは、正直商談では誰かがついてくると、「失敗したくないな」と緊張する。準備を十分にできていなくて回答を持っていない状態で迎えると不安で緊張する。ふだんの自分を毎回発揮することができているかと言われると、正直まだまだダメだ。いくら場数といっても、どれだけ「濃い」場数を踏むことができているかによって変わってくる。

ただ、たくさんの商談をしてきた中で、「この会社だったら、この業界だったら、この立場だったら・・・」という共有点や基本概念みたいなものが出来上がった。

それは、何も準備なしに発揮されるものではないけれど、それを掴んで来れているっていう感覚が、自信に繋がってきた。

提案をするってことが緊張に包まれることもあったけど、それもそれで一人で乗り越えて、乗り越えたっていう自分の強さ。

大丈夫、ちゃんとできてる。頑張ってる。

コミュニケーションは必然的に増えた。仕事以外でのコミュニケーションはあまり取っていないけど。仕事でのコミュニケーションで、「組織を横断すること」の楽しさを知った。

自分のチームだけで完結するのではなくて、チームをまたいで、組織を横断して、いろんな人の仕事観や目先のTODOを聞いて、それに自分がどう関わることができるのか、「模索する時間そのもの」が楽しかった。

”仕事”って感じ。自分の殻の中で完結するものではなくて、それを超えて、誰かと形成することそのもの。

人とのコミュニケーションの中で生きていたい。だから、その瞬間そのものが好き。

コミュニケーションを介して、組織の人を知った。期待をしすぎることは自分のためにもダメだと知ることもあったし、繋がる人のために丁寧になれることもあった。

そこで自分自身が何か大きな変化を知ることができたのかどうかで言うと、正直そうではない。自分が前を向くことで、物事の捉え方・見方が変わったから、総じてポジティブであると前と比べると言えるってこと。

足元に丁寧になるってことが、大事なんだな。

心の悲鳴を聞くことの大事。アクションした先では、想像をちゃんと超える学びや発見があることを認識すること。(だから、飽きないこと)


もっと書きたいこと「自分の知らなかった世界」と「少し前の自分の時間の使い方に戻ってしまったこと」があったけど、割と長文だったから。

メイン的なところを解決できたから。

いいや。あとは次回。













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