「超浮気性」の今までと、オナニーについて
久しぶりに、男の話をしてみようと思う。
2020年を迎えるにあたって、なんだか信頼をしている運勢の本があって読み込んでみた。
「超浮気性です。」って記載があって笑ってしまった。
今までなんだかんだ気づくことのなかった自分のそういうところについて、吐き出してみようと思う。
確かに清純ではなかった大学生時代
急に本題に入ってなんの矛盾もなくて笑ったけど、大学時代はまさにこんな感じだった。
愛の本質を失った状態で上京をして来て、愛の形を探しまくった。
自分だけを愛してくれる人がいれば、その心地よさに浸った。
その選択が本当にこの先永遠になるのかどうかなんてませたことも考えたりしながら、自分なりに取捨選択をして。
自分の大学時代に、「恋愛」が欠けることなんてなかった。
それは、彼氏という名の純愛らしいものもあれば、彼氏がいながら好意を持ってくれる人とDLに行ってみたり、お互いカレカノがいるのに夜な夜なあゆき回ったりホテルに泊まったり向こうの家に泊まったり。一緒のベッドに寝たり。
六本木ヒルズの高層階にあるバーで飲みながら高級車に振られてガラス張りの部屋でキスをされたり。「二番目でいいよ」なんて誰にでも言ってそうなセリフに少しうろたえたり。
火遊びから、彼の家族と旅行をして指輪を買うくらいの本気の恋愛まで。
私の大学生時代には、「男女の特別な関係」が。特別なやり取りが。普段感じることのできない、「特別感」が。
とても心地よく、幸せで、私がそこにいる意味を全身で感じて、ドキドキする刺激的なことまでセットで。
中毒だった。「依存症」だった。
自分で自分を本質的に満たすすべを持っていなくて、それを他人に求める中でも十分に成り立っていた世界。
そりゃあ上手く行かない恋愛もあったように思うけど、残っている記憶は、基本向こうから「好きです」の嵐。(この意味が遊びであっても)
自分から賭けに出て、自分から何かを失ってしまう苦しみが大学時代にはなかったように思う。(高校時代には初めて自分から告白して玉砕して号泣したけど)
自分が誰かに「愛されていること」が、安定剤だった。
自分のことを傷つけてリスカすることで自分を安定させる子もいるって知っていて、そこをどこかバカにしていたけど、でも手法が違うだけで、心に潜む何かモヤモヤした解決することすら難しいと思うものが、「私の場合」恋愛で手っ取り早く解決するだけだった。
大学時代は、「超浮気性」。まさに。
口をひらけば男の話だった。今やり取りをしているのはどんな男で、何歳で、スペックはどんな感じで、次はどんな感じになりそうって。
それがまるで、自分の価値を決めるかのような。
儚い恋愛観だった。その土台の上に、どれだけ本物を置いてみても、十分に育つことがないことは誰でも想像がつくよね。
ただ、最後の1年間は、とても素敵な恋愛をしていた。始まりは探り合うような友達関係からの恋愛だったけど、彼の言葉はわかりにくいようで、実はちゃんと愛を伝えていてくれてたと後々になって気づいた。
結婚をすることまで考えるあの人に、遠距離ですら私のために乗り越えてくれるあの人に、私だけが知っているあの人の弱さに、ずっと一緒にいたいと思ったけれど。
その土台の弱さと、この先に待ち受ける社会人生活に深くのめり込む私に、「今ではない」という理由で終わりにしたんだっけ。その話はまた別で。
補足すると、なんだかんだセックスは彼氏としかしてなかった。セックスで埋まる幸せは、その時はよくわかっていなかった(元彼に失礼)
単純に、胸が小さくて、それがひたすらにコンプレックスで、それを嘘ついてたりしたので、セックスとなると気が引けたりしたんだけど。
そのころは、おナニーをしたこともなくて、体を通じて感じる快感を自分が求めていなかったし、それを求める男性の欲求がまるで理解できなかった。
今なら、よくわかるんですけど。
恋愛禁止にしていた社会人生活
まさに、集中すると「これだけ」になってしまう人なので。社会という、自分という大人が自立して誰かのため、なんてことを考えることになるタイミングを前にして、新しい自分が待ってる気がして。
大好きだった彼との別れを決めたからこそ、新卒時代は恋愛をしないと決め込んだ。結果、一年半は仕事に生きたの。本当に。
一年半後、仕事をしながら恋愛禁止だったはずの社内で、怖いと思われていた人にあっという間に恋に落ちていた。なんだか。
そこからは、懐かしいのか、そんな感覚が戻ってきて、可能性を匂わせる他の人にちょっかいを出してみたら、それが二年以上にも渡る大恋愛になった。
規制をかけていた意味はちゃんとあって、自分なりに新卒としての負荷をかけ切って、だんだん他のことを見れるようになってきたから。
遊びのつもりで声をかけた彼は、年の離れた、ぽっちゃりしたおじさんだったんだけど、私を見る目が、「若さ」と「探り」と、「特別」を語っていた。
夜中に会って、身体に触れて、一回はダメだよねって彼が突き放したけど、禁断の2回目ではもうセックスをした。
落ちるように恋をしていた。彼が夢中になって普段見せないくせに甘えたように連絡してくる様に、私の方が依存してた。
寂しくなるから、この詳細は省こう。
ただ、その期間は、たくさんの男性に好かれて、いろんな男性とデートもしたけど、頭の中には彼がいて、彼と会いたい話したいこの料理を一緒に食べたい、そんなことばかり。
「超浮気性」だったはずの私は、心も体も彼のものになることを、何一ついとわなかった。彼とキスをするだけで濡れた。彼が喜んで重ねてくることも、連絡も、視線も、手先も、大好きだった。
超浮気性の私は、その時は死んでいたのね。
前職をやめて、彼と終わって、今まで
オナニーを始めた。
どんなタイミングだったかは忘れてしまったけど、ニートになってから多分思いの外時間が余って。
その時のおかずは、動画もあれば、漫画もあった。そして彼とのセックスを思い浮かべて最後はイッた。
だけどいろんな事実が進んで、私も時間のない状態から転職をして、新しい出会いや、久しぶりの出会いをする中で、頭の中に浮かぶのは数人になった。
これが浮気性と呼ばれる所以なのかもしれない。
なんてったって、それぞれをそれぞれなりに好きだったから。
それぞれとの出来事が、自分を動かした。時には仕事に行きたくないと休むくらいに。その時々の寂しさや精神状態もあるんだろうが。
一人は、とても愚直に愛してくれる人だった。本人曰くとても一途らしく、彼の好意に踏み込んで私からもっと彼のいろんな側面を知ろうと頑張れば良かったんだろうけど、彼の一面を知ってそれを直感で判断して、プライドのせいで「自分から積極的にいく」ってことができなかった(今までその経験が少ないから感覚が薄くて反省した案件)。
相手に完璧を求めすぎたのかも、ってことと、本当に欲しいと思ったら声に出さないと相手には伝わらないし何も変わらないってこと。
そんな当然のことをちゃんと学んだり。ある程度大人になると、セックスから始める恋もあるんだなってことも。
もう一人は、結果既婚者っぽくて、誰より彼と過ごすことを楽しみにしていた私の小さな恋が終わった。頭が良くて面白くて、目から伝わる緊張も、セックスでの熱量も、嫌いではなかった。(一回荒すぎて傷ついたけど)
彼ともっと過ごしたかったし、一緒にいるだけでムラムラする気分にさせてくれる(キスをしたい、ハグをしたいと思える)人はとても稀で。
大きな身体と、どこかふくよかなほっぺと、優しくて意地悪そうな目は、とても愛らしくて。私から上に乗って、キスを落としてしまいたくなるくらい。彼の中身も、好きだったんだけど。
残念だった。そんな期待値でスタートしまったから、今更せふれで満足することもできなくて。彼の気まぐれな連絡に、おわりを告げた。
なんかこんなことを書いていると、意外と今年8月以降はなんだかんだ恋愛をしてきた人のように思うな。
それまでは、まあ腐っていたも同然の精神状態だったんだけど。(転職や失恋やニートのお金事情や)
それ以外には、ご飯を食べにいったり趣味を分かち合うような数人はいたし、今もいる。でもそこに時間を費やしたり心を費やしたり、それをいいきっかけにして自分を美しく保とうなんてことにはならなかった。
意外にも、終わってはいない女性生活に少し自信をもてた今。(可視化に感謝)
そして、なんだかんだ少し進みそうな男性がもう一人いること。の幸せ。
彼を思い出す時間が増えている。遊び人で、女性がとても好きなのはわかっているんだけど。でも彼の目から伝わる率直で隠すことのできない素直さに惹かれてる。目を見ればわかる。
目には、言葉では伝えきることもできない、本当は伝えたくないことまで切実に映し出されることが多い。
最初あって、初めて目があった瞬間、「綺麗だな」って思ってくれたのは知っているけど、それを目が語っていたことに何より惹かれているの。
前の失敗を繰り返さないように、彼の小さな合図にも、目の感情も拾って、それを受け取って、「今この瞬間」何をしたいのか、を考えようと思います。
彼を思って、最近はオナニーをしてしまう。最後イく時に、彼に抱かれる妄想でイく。
これぞ「超浮気性」の原点なんだろうが、今は彼だけでいい、かもしれない。
ここまでしておいて、会った時には平然とした顔で会話ができちゃうんだから、私の平然さはなんかすごいなと思う。(尊敬する)
でも感情が見えにくいから、もう少し押してみようかな。目を見て、その場と彼と私の心と相談して、最高の時間になる選択をたくさんできるように。今年の目標は「今この瞬間の自分の心に素直に」だな。
なんだかんだ、本当に愛した人がいれば他はどうでもよくなる
これが本質だと思っている。男性は違う人もいるのかな?目先で食べれる女性がいれば、そこを取るのかな?
「男は浮気する生き物だ」っていう概念を、どこまで受け入れられるか、のような気もしているけど。でもそれって結局どう変わるのかわからないし、変わらないかもしれないし、それでも彼のことが好きなのかもしれないし、そうじゃなくなるかもしれない。
それって本当に、想像するようにはいかないのが現実よね。
彼となんどもセックスをする妄想をしながら、彼に可愛い可愛いと言われてなんどもイきまくる自分をイメージする。彼のカリの下らへんが膨らんだあそこで奥まで突かれたり、濡れまくるところに指を這わせて我慢できなくなる彼。口ですることをねだってきたり、終わった後も勃ってしまう彼すら、妄想の中で愛おしいと思っている。
重症。
これは重症。とんでもない空想魔であり、妄想癖。ただいま自覚。
早くそんなことをしてしまいたいけど、でもそこまでの課程を焦らせば焦らすほど本番が燃え上がることも知っている。
セックスなんていつだってできるけど、そこまでをどう作り込んでしまうかで興奮度は違うんだから。だから次のご飯では思わせぶりな目線とボディータッチで、次の約束を作って、次以降にホテルに連れて行ってもらおうかな、なんて想像したり。
そこまで想像できるのは、彼のことが好きだからなんだけど。すでに。
好きでもない男のあそこを、満遍なく全てを咥えて愛することなんて到底無理。(経験済み)
ああ、いやらしい瞬間だって楽しみたいと思ってしまっている私って、十分に変態で。
大学時代に感じていた恋愛観とは、結構違う感覚を育んでいる。
プラトニックでだって満たされることを知っていた頃と、身体の交わりの中で相手をどこまでも感じたいと思う今。
それは単純に、「変態になった」って言葉だけで説明できるものでもあるようなないような。
人間の「本来の欲」に気づいたんだろうな、相手のことも。自分のことも。
純愛をしていると思っていた、心のどこかで。体を預けない選択を、(胸が小さいという恥ずかしさがあるって理由であっても)してきたことを、どこか夜の世界で頑張る女と違うのだと線引きをしていた。
そんな感情は不純なのだと、どこかで思っていた。だからその感情が全面的に向けられると気持ち悪いと思ってしまった。
私がそんな場所に足を運んで、その程度の欲求でいいからと言葉にせずとも許してしまったんだろうけど。
そんな程度の関係で、浅くいろんな人と繋がってきたけど。
今は、一人の人と少し深く関わりたいって思っているのかも。
深く関わった際に、なぜこの時こんな選択をしたの?とか。どんな時にうれしいの?とか。これから先どんな生活や仕事をしていきたいの?とか。
それ以外に、どこで感じるの?とか。私と同じか、きっとそれ以上に欲情してしまう彼の声と欲に答えたいって思っている。
「仕方のない」湧き上がるものに、本能的なものに、逃げずに向き合いたいって思っている。
私だって、そうだから、ということを知って、自分を快感の中に置くことを知って。身体を重ねて愛がにじみ出ている最高のセックスを知って。
大人になったのかな。
愛の表現の多様性を知ったのかも。
たくさん関わって、たくさん出会って、たくさんすれ違って、その中でも「この人」と思える人と深い関係になれる可能性があることの幸せ。
なんだか素敵な終わり方を、今日はできそう。
「超浮気性」の私は、この人ってなったらとても素直にわかりやすく一途になるみたいです。
超浮気性の私は、自分で想像している以上に妄想癖があって、えっちな脳内に彼を引き出したりするけど、それは裏返せば「せっくす」を通した愛情表現を知ることができたってことで。
いいんじゃないでしょうか。
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