今の私、元気?(新しい趣味と、仕事編)
自粛ムードがすごい。
リモートワークになって、物理的に職場にいる必要がなくなって、「時間と場所に縛られる」ことがなくなった。
当然、「この時間までに起きないと」がないと朝は時間を無駄に過ごしてしまうことだってあるんでしょうが、
一定「この時間にはいないと白い目で見られるから」という自分の意志以外のもので縛られた行動パターンと思考性には、とても疲れる。
正直とんでもなく疲れる。
そこからの解放は大きかった。「自分の時間は自分のものである」ってことを、改めて知った感覚。
責任と、自由。「やることをやっていればいいじゃない」のスタイルを持続させること、それが自分を奮い立たせることができればいいってこと。
誰かの、「こうあるべき」なんて知るか。
ビジネスホテルに休日に一人で泊まってみた
休日、次の日しごとだけどりもーとになったから一定自由な時間のため。普段だったらなかなか、というか絶対にトライすることを決めなかったであろうことをしてみた。
これは最高だったので、ちゃんと書きたい。
自分の時間を生きる上で、「場所」ってとても重要なんだってことを知った。
どこが、自分の行動の基軸になっているのか。
そこを中心に自分の行動を考えて、決める。遠すぎると時間との兼ね合いを考えるし、自分の仕事両殿も相談したくなる。
要は、いつも何かを選択するとき、「それを選ばない理由も」探しているんだなと思って。「言い訳」も探しているんだなと思って。
なんだか、それが場所や時間に縛られていたんだなって。
確かに2月は体調があまり良くなくて、葛根湯を人生で初めてマメに飲んでみたり、少し不安定なことが多かった。コロナもあって、誰彼問わず会って話をする面白さから逃げてしまっていた。
マスクをするから、自分の表面的な可愛さは別にマックスにする必要はないなとも思っていた。
出会いの都市ではあるけれども、無理をする必要はないし、一年の中にそんな月があってもいいでしょう、と。
確かにそうなんだが、「自分のために、自分を可愛がる」ってことができない典型的なやつだなとも思った。
自分のためには部屋をこまめにきれいにはできない、友達が来るってならないと。っていう、ああいう感じ。
この世で誰と一緒になろうと、誰を交わろうと、たった一人になろうと、「ご機嫌をとって幸せにしないといけない」責任があるのは、自分自身だけだっていうのに。
自分の感情が、先に立たないことがよくある。そばにいる誰かにいっしょうけんめいに気を遣って、なんだか消費されて、誰かが悪いわけではないのに、自分自身の幸せって一体何?にすぐ答えることができていない状態。
今だってそうだ。
ビジネスホテルに一人でパソコンに向き合っていて、十分なくらいお腹が沢山なのに、目の前にあるカップラーメンを食べようか迷っている。
それは、私のためっていうか、欲望に負けている状態。脳の麻痺状態に、麻薬に溺れている脳に、思考停止状態で従っているだけ。
それが本能の声だと思っているだけ。
本当の私が叫んでいるのは、「きれいになりたい」「少しずつ暖かくなって、タイトな服を着たい」「自分の食欲を、無理をすることはないけどコントロールしたい」
何も考えることなしに選択するってことは、私の心の声を聞いてないってこと、聞こうとしていないってこと。
わすれちゃいけないよ。
その状態に、ふだん軸足をおいている自分の部屋をでることで、周りの世界の見え方がかわって、些細なことでも他人に優しくなれて、まるで自分の心が新しくなったみたいに。
この感覚が大事なんだなって。この感覚が、正月に信念を迎えたときみたいな、まっさらな気持ちで目標を立てようって思えるアレだって。
いつだって「日常」はそこにあってスタンスを変えないけど、スタンスが変わって受け取り方が変わって行くのは、いつも私の方。
なんですな。
なんでもない行動が、急に特別になる。一人でだって、新しい発見と世界を知ることができる。
最高の趣味を見つけましたとさ。
これをきっかけに、「国内ぷち旅行」という趣味と、人生のリフレッシュと、新しいものに触れる楽しいアクション、という3つを叶えてしまうかけがえのない贅沢タイムに命ずることにする。
最高。
仕事編。複業が馬鹿いそがしくなってしまった
忙しく、「なってしまった」。
最初は面接代行だった。オンラインで時間を使うだけで十分だった。
でも心は欲張りで、純粋に役に立てることが嬉しくて。「適当でいいじゃない」ができない。頑張ってしまう。
「やるからには、最高の結果をだしたい」
それ自体は素晴らしいけれども、”気づいたら、自分の生活と心の声をないがしろにしている”事が多い。
そうなってから気づく。興奮のさなかで、自分の存在が後ろ手に回っていることに気づかない。
この時間が、この奮闘が、自分のためになっているのか、わからない。
それにわからず、たくさんの時間と心を費やして、気づいたら「これでいいんだっけ?」って思うことだってある。
いや、何もかもに意味を持とうと思っているから苦しくなるのだろうか。
多分、私にはやりたいと思うことがある。ダンスを、DJを、カラオケを、運動を、あらゆる人に出会って、たくさんの刺激をもらって。
それらを、時間ができた!休みだ!やろう!ってなれるはずだとおもっていて、そこに時間を使わず「使命感と責任感」をもって取り組んでいる複業があることで、すこし疑問に思っている。
「このままでいいんだっけ?」
このまま、増え続ける業務に耐えて、本来であれば土日どっちも使って、平日はなかなか考えられないからこそ土日色々思考することが、今後の拡大のためには必要なんだろう。
わかっている。十分なコミュニケーションとPDCAには、今の状態が不十分なこと。
不十分な状態でワークすることが、会社のためにもならないこと。少なくとも短期的には何かをすることができても、中長期的に見ると、
私は疲弊し、ふと「今回の求人で終わりにします」と言いかねなくて、正社員でアレやこれや思案できるのがすべてだとわかっていても、それができないことのフラストレーションが溜まる。
苦しい。ただただ、私個人の苦しみが募って、それが会社にとってポジティブではないってこと。
まずは、現状の整理をしよう。求人を作るってことが、こんなに時間がかかると思っていなかったし、というのは正直なところで、
「こんなに面談して採用しないといけないの!?」が、私一人に降り掛かっていることに、責任以外の感情を感じることはできていない状態。
全く健全じゃない。
もっと余裕を持って向き合う必要がある。
一体何が、先に効率化することができるのか?応募状況の最新情報と載せている求人情報の共有。
特に前者がこまめに変動したり増えたりするケースがあるので、いちいち全体像を再構築する必要がないように、(((1)))現状の全体像をちゃんと可視化すること。そこの「どこが」「どう」変わるのかを、わかりやすく教えてもらうこと。
これができれば、だいぶ頭の中が整理されて楽になる。頭の中に、何かわからないけどたくさんのものがこんがらがっている状態が、苦しさの源。
そこをクリアにしよう。
そして上記の全体像の理解が進んだら、(((2)))それぞれに「最適なアプローチ」ができているのかどうか、応募人数と、採用時期と、求人情報(PR)を加味して考える。
「なんとなく」この採用媒体に出している、「一旦」無料で、「とりあえず」こんな感じのPRで・・・この戦略性のかけらもない状態。これが良くない。全く良くない。
これこそ、「なにのために私がやっているんだっけ?」って思う所以。
戦略性を持とう。ちゃんとそこに向けて考えよう。じゃないと、全て感覚地で、日常の中でただこなしているだけで、「私のスキル」にもならなければ、「今後誰かに譲渡すること」もできない。
無駄だ。これが無駄な時間だ。
そこを、他の求人をみたり反応の良い会社や似ている業界の見せ方を参考にして、、、、情報を拡充しよう。その試行錯誤が楽しいんじゃないの。
(((3)))面談で話したこと、聞いたこと、気になったこと、引っかかったことなど、記憶することで、次に活かす。KPIや数値を取ることで、課題を明確にして次に活かす。PDCAを回すための材料を回収すること。
これが大事。感覚や、記憶の中だけですべてを片付けようと思っても無駄。苦しくなるだけ。目先しか生きれないだけ。
それをとってみると、こうやって言語化する過程でも気づくように、「どうやってそこに対してアクションしようか?」と頭を使う。ある意味、今は思考停止なのだ。
今、面談をサバているだけの私、思考停止なのだ。
だから、つまらないのだ。当然。
目先だけにとらわれるな。
ああ、素敵なことに気づいた。とても素敵なことに気づけた。
今日は残りの返信をして、それでぐっすり寝れそう。最高です。
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