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#58 「怖い」の先にあるもの

こんにちは。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の58話目です。
今回はめずらしく、少し仕事で思ったことを書く。
そうなんです、実はわたし仕事をしております。
こんなんでできるのか?と思われてそう。。。

去年の夏頃にはじまった離婚と恋について、ずっと書いてきた。
その間に起きたことで、わたしは変わらざるをえなかった。

異動先で心がけていることがある。

ちょっとだけ、出しゃばる。
おばちゃんの特権を発動して、ちょっと空気読めないふりをしながら、予定調和の空気をちょっとだけ壊す。

素人だから、わからないからこそ気づけることは、異動したばかりの今しか言えない。今だから許されることをいつもより少しだけはみ出して、言ってみる。

こういう提案、前にNG食らったな、と思って、口が重くなる。
言うのやっぱやめとこうかなって思う。
思うけど、言ってみるだけ言ってみる。

それが、全部あるいは一部採用されることもあるし、それが呼び水になって議論が活発化したり、そんなことが増えた。

ただ、これができるのは、上司のおかげだ。
話していて、否定しないひとだと知っている。
けれど、今の部署の同僚たちはあまり意見を言わない。
打ち合わせでも、上司ひとりが話して終わる、これが歯がゆいのだ。
わたしだけじゃなく、たぶん上司も。
そして、彼は一方的に上から指示をすることを好まない。

だから、上司と1対1で打ち合わせをするときは、どこまでいけるかなっていうラインを実はいつも探っている。これは尖りすぎなんだろうな、とかこれはもうボツってて今はそのときじゃないんだな、とか。

そして、上司が歯がゆく思っているであろう、彼の「こうして欲しい」を提案してみる。
何にも知らないど素人だからという体で、質問からゆるゆると想定ラインのちょっと先まで切り込む。
うまくすれば、部下が自発的に、上司の思う通りに、コトが運ぶ。
なんとなく、それがわたしの役割だと思ったから、やってみている。

こういうとき、年をとるのも悪くないなぁと思う。
わかってくれるひとがいるのを知っているから、わかってくれないひとにどう思われてもかまわないと思える。
うまくいくときも、いかないときも、その化学反応みたいな議論やその行先がおもしろい。

こういう風に思えるようになったのは、離婚したころからだと思う。

わたしは選ぶ。
わたしが選ぶ。
そう決めた。

無駄かもしれない、でも自分が大事だと思うことに手間をかける。
自分が価値を感じられないことは、やらないでバッサリ切る。
時間は有限だ。

会社員だから、言われたことはやらないといけないと思い込んでいた。

でも、それでもわたしが選ぶ、と思うようにした。

そうしたら「やりたくないことをやらない」ことは意外と実現可能だった。
どのように?

まず、やりたいことをやりたい、と素直に言った。
こういうやり方でやりたい、みんな楽だから。こういう見せ方がいいと思う、今までと同じフォーマットの方が馴染みやすいから。
先に意見をいう。
それだけで、やることが格段に減る。
可能性を減らせば、その可能性への準備は削ぎ落とせる。

あとは、やりたい仕事からやるようにした。
やりたくない仕事はギリギリまでやらなかった。
そうしたら、結構仕事がなくなっていった。
あのプロジェクトの費用対効果がいまいちだってわかったから、次回の会議資料がいらなくなった、とか、あるいは更新間隔あけてもいいよねという結論により頻度が少なくなる、とか。
先にやっていたら、やった仕事が無駄になっていた。
でも、たしかにそういうことよくあった。

別に、真面目にやったからって得しないのだ。
うまくいかなかったときの言い訳にすらならない。

心に余白ができた。

そのままやるんじゃなくて、ちょっと遅らせてでも要件を明確にしよう。
引き継ぎは受けたけど、そのままやるより、依頼部署に直接確認してからやったほうが無駄がなさそう、と判断する。
最終的なアウトプットが早ければ、誰からも文句は出ない。それが確実であればなおさら。

時間は、伸び縮みする。
納期は、岩みたいに動かせないものではなかった。
すべてとは言わないけれど、調整の余地がある。
従順をよしとする上司は、もう目の前にはいない。

今まで、怖がってばかりで、目を開けていなかったのかもしれない。
今も怖い気持ちは残っている、でも怖いからこそ行った方がいい。
怖いということはわからないから、そこにいいものがある余地がある。

心をひらこう。
深呼吸して、肩のチカラを抜いて。
だいじょうぶ、傷ついてもわたしは立ち上がれる。
40を過ぎたのにではない、過ぎたからできる。
2回目の人生を生きているような感じ。

死の直前、人が最も多く後悔する5つのこと、を知る。

「自分に正直な人生を生きればよかった」
「働きすぎなければよかった」
「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」
「友人と連絡を取り続ければよかった」
「幸せをあきらめなければよかった」

あぁ、去年の夏からのわたしは間違っていなかったのかもしれない。
全部、もうやっていた。

それまでは「自分の意見をいわない」ことすらもデフォルトだった。

怖かった。
意見をいうこと、好きだと認めること、素直になること、甘えること、動くこと、大事なものをもつこと、自由すぎること、ひとを信じること、自分の感覚を信じること、自分の本音そのもの、わかってもらおうとすること、断られること、40を過ぎて恋をしてしまったこと、優しくされること、甘やかされること、変わっていく自分、何もかもが。

ひとりでは二度と立てなくなりそうで。
もう元の自分には戻れなくなりそうで。
傷ついた自分を誰にもみられたくなくて。
ひとの頭の中にあるわたしのイメージを壊すと怒られそうで。
誰かに何かをもらったら、それ以上の何かを返さなければいけない気がして。

都合のいいひとのままでいたかったのは、何より自分自身だった。
どうでもいいひと、そのポジションが楽だった。
いやなことはあったけど、もう誰とも深く関わりたくなかった。
自分を見られることさえも、いやだった。

そう言えば、これも彼がきっかけだったのだ。

彼だけは、わたしを普通に扱った。
モブキャラなのに、きちんとした一人の人間として、扱われてしまった。
都合のいいひとがやる仕事に価値を見出す。
どうでもいい仕事という概念がない。
どんな意見でも否定をしない。

「僕は、そうなんです」

といつも彼は言う。
それが、わたしを自由にした。
彼に見られていることは、怖くなかったし嫌でもなかった。
少し恥ずかしいことはあったけど、彼ならなぜかだいじょうぶなのだ。

今も、彼はわかってくれる、となぜかわたしはいつも信じている。

かくして、怖いことに手を出しはじめた。
冒険だ。
今、わたしにはどうでもいいことに割ける時間は1秒たりともない。

意見が通る瞬間は、爽快だった。
わたしはこの感覚を知っていた、なぜ忘れていたのかも忘れたけど。
意見を言わないひとはいいひとじゃない、どうでもいいひとだ。
意見が通らなくてもいいのだ、その場の空気に関わることが大事。
「そこにある」ということ。

環境が変わった。

前は「言おう」と思って、言っていた。
今は、もう口から出ている。
否定するひとがもう周りにはいなくなった。
だから、自分の耳もよく聞こえるようになった。
周囲に雑音はもうない。

迷ったらやる、そう肩に力を入れる必要ももうない。
やるべきことは目の前にあって、手を伸ばせばいい、そうなってきた。
今までも、たぶんそこにあったそれを受け入れていないだけだった。

「やらなくちゃ」
そう考えるとき、動く前に調査をして、メリットとデメリットを計算して、コスパなんかも気にして、最悪のケースを想定して備える。
だから、動くのにすごくパワーが必要だった。

「怖い」から大変なことだと思ってた。
「怖い」からできないかもと思ってた。
けど、そうじゃなかった。
やってみて、失敗したとしてもそれで終わるわけじゃないから、とにかくやってみることを続ければいいのだ。
やろうと思ったことはただやってみればいいのだった。

今、周囲は男性ばかりで、みんな当たり前に優しい。
穏やかに時間が流れる。
優しくされている、でもその分優しくしなきゃ、返さなきゃとは思わない。
わたしがわたしらしく仕事をすることが、一番大きな価値につながる。
なぜかそう信じられている。

わたしはわたしの意思で、「#54 都合のいい女になる決意」をした。
悲痛な気持ち、思いつめてという感じで書いてしまったけど、人生のひとときわけのわからないことにチャレンジするのもおもしろいかなと心の何処かで思っていた。

恋をしたから、その流れにのってみるのもまぁいっか。
そんな感じ。

そもそも、彼がくれたものなのだ。
「彼を好きでいる自由」も「彼から離れる自由」も快適な今も。
だから、どっちでもいいのだ。
どっちに歩いても、歩かなくてもいい。

彼がくれた自由は、愛情の土壌に植えられてある。
今日もわたしは自分の中にあるそれをパクパク食べて寝て毎日を過ごす。
わたしはもう受け取っている。
こんなしあわせな片思いがあっても、いい。


役の中で歌われる歌、役者さんがすき。すーっと入ってきて、残る。


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id_butter
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