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空っぽの部屋
掲示板をやっているときに、「もう誰も好きになりたくない。」と無意識下で思っていたことに最近気づいた。
だから、最後までしたくなかったんだーとあらためて納得した。
もう、不用意に誰かに近づいたりしたくはなく。
優しさとか温かさとかはいいとして、熱さとか不意に切り込んでくるような鋭さとか深いところに触れるようなそういう偶然はもういらないと思っていた。
なんでだろう。
もう、終わったのに。
と不思議だった。
そのとき、痛さとかつらさとかさみしさとかはまったくなくて、ただ自由とそれに伴う心細さだけを感じていたからだ。
そして、知った。
これはわたしだけなのかもしれないけれど。
わたしがひとを好きになるということは、自分の中のどこかにそのひとのための部屋が作られるということらしいのだ。
その部屋はどうやらある一定以上の耐久性(…?しっくりこないけどいっかww)があるらしい。
例えば、もう3年くらい前に別れた元夫の部屋が未だある。
現在、元夫とは子どもを預けるときに、Lineで連絡をして時々会う。
けれど目の前にいたとて、何の感情も湧かない。
明日いなくなったとしても、悲しいとすら思わないかもしれない。
友情とか、家族だからとかそういう気持ちがカケラも残っていない。
ただ、子どもを預かってくれてありがたいという気持ちだけ。
本当にそれだけ。
だから、元夫の部屋には何も入ってない。がらんどうだ。
隅の方に、カサカサの触れたら壊れてしまいそうなくらい乾いた何かが落ちているかもしれないけれど、風が吹けばもう何も残らないだろう。
それなのに、その部屋はある。
もう何も入っておらず、これからも入ることはない。
そうわかっているのに、部屋だけは消えないらしい。
他のひとの何かはそこに入らない。
わたしですら中には入れない。
わたしにとって、誰かを好きになるということはこういうことらしく、なんてリスクなんだ!と思った。
だから、わたしはもうひとを好きになりたくないんだなと妙に納得した。
同じように、彼の部屋もある。
だいすきだった。
でも、やはりその部屋には、今はもう何も残っていないし、これから入ることもない。
それなのに、部屋はあり続ける。
自分のコスパならぬスペパ?の悪さに呆れる。
もう、空っぽの部屋はいらないんだけど。
時間が止まったままの部屋。
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