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母は天然色

こんにちは。id_butterです。
旅行以来、noteをほっぽらかしにしている。
忙しい、というわけではない。
書いているけど、完成しない。

ということで、書けるやつを書いてみよう。

母の話だ。
最近、実家によく帰る。
1ヶ月に1回以上は帰っていて、気難しいはずの地球人次女はすっかりわたしの兄に懐いてしまい、好きなひとランキングの3位にまで浮上した。(パパは5位に陥落してしまった。)

であらためて、この人変だよなと考えていたら、昔のエピソードが蘇ってみたので、読んでくださる皆様にも共有したいと思う。

1.わたしは間違っていない、駅の看板が間違っている

その日、わたしと母は羽田空港に向かっていた。
初めての飛行機に乗って、結婚した姉の住むところまで行こうとしていた。
12時発の飛行機に乗るのに、わたしたちが出発したのは1時間半前。
後から考えたら、よく間に合ったものだ、というかよく飛行機会社の人が待っててくれたものだと思う。
家から羽田空港駅まででぴったり1時間半くらいなのだ。
あの時間に間に合っていたはずがないのだから。

当時中学生だったわたしは、途中で間に合わないかもと言い出す母に、何時の飛行機なの?と呑気に確認した。
…絶対に間に合わないじゃん、と焦るわたしに、母は「だって間に合うと思ったんだもん。羽田まで1時間、余裕を持って30分でしょ。」と堂々とのたまった。

そして、焦る山手線への乗り換えでそっちじゃないよ、こっちって看板に書いてあるからと言うわたしに、さらにひとこと上乗せした。

バタコちゃん、それは駅の看板が間違ってるのよ。こっち。

そこは毎日十万人以上が出入りする駅。
その案内の看板はわたしが知る限り、ずっとそこにある。
大きな声で「看板が間違っている」と主張する母の腕を組み引きずるように歩き、乗り換えのホームに向かったわたしは、泣きそうだった。

遅れてついた空港では、飛行機会社の人に謝りたおし、最後に乗った飛行機でも「すみません」を連呼しながら席まで歩いた。

母はいつもこういうとき自信満々なのだった。

2.他のひとのお家に入っていく

それは、わたしが小学高学年の時だったと思う。
実家は新興住宅地にあり、わたしたち家族は住み始めて3年くらい経っていた。
友人と友人のお母さんと4人で歩いていた。

「それじゃ、どうも。」

そう言って入っていこうとする家は我が家の隣の隣のうち。
門扉も家の外壁の色も全然違う。
それなのに、母はその門扉を開けて、ずんずんと他人である「佐藤さん」のお宅へ入っていこうとする。
顔は友人と友人のお母さんをみているので、気づかないらしい。
…まじか。

「お母さん、ここ佐藤さんちだよ。」

そう止めても、すぐに母は止まらない。

3.右はどっち

それは、わたしの友人を車で送っている時のことだった。

「この道、どっち?」
そう問う母に友人が「右です。」と答える。

そして、母は「右ね?右よね?右右…」
そう連呼しながらハンドルをなぜか左に切った。

おどろいた友人は笑い出した。
わたしはというと、お母さん、こっちは左だからとUターンできる場所を探していた。

そして、母は「右ってどっちだっけ」というのだ。

4.寝落ち

母はすぐに寝てしまう癖があった。
最近は治まっているみたいだから、その頃何かあったのかもしれない。

ご飯を食べ終わると、寝てしまう。
目の前には食べ終わったつゆの残ったラーメンどんぶりやら納豆ごはんが入っていたお茶碗やらが置いてある。

よくそこに頭をつっこんでいた。
「あれ」と必ずいうのだ、母が。
気づいてからはどかすようにしていたけれど、ラーメンどんぶりの時はさすがに焦った。


ここまで読んで、「お母さんはだいじょうぶなの?」と心配になる方もいらっしゃるに違いない。
けれど、母は天然なだけで、痴呆症とかではない。
そして、自分では自分が一番しっかりしていると思っている、厄介なひとである。

その奇天烈さは今も健在だった、ということを実家に行くたびに実感し、過去を思い出す。



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