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#73 ひとりでも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい

こんばんは。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の73話目です。

タイトルは、「大豆田とわ子と三人の元夫」というドラマの第一話に出てくる台詞である。ネタバレを含むので、まだ観ていなくて観てみたい!というひとは回れ右して下さい🙇‍♀️ そして是非、観ていただきたい。

放送していたのは、去年の4月〜6月。
わたしは離婚を決意する前で、ちょうどこの頃だったと思う。

そう、最高に不幸で、彼に「だいじょうぶ?」と言われていたころ。

リアルでこのドラマを見ていたときは、あまり感情移入することはなくて、「おもしろいドラマだな」と思っていただけだった。
けれど、離婚した今見返していると、なんだか胸に刺さる台詞が多くて妙に胸に詰まる。
それについて思うところを書く。

タイトルの台詞は主人公であるとわ子の少女時代の回想シーンに出てくる。
とわ子は、母に離婚した理由を問う。
「お母さんって、大丈夫すぎるんだろうね。ひとりでも大丈夫な人は、大事にされないものなんだよ」と母親は答える。
そして、さらにとわ子に問う。
「とわ子はどっちかな? ひとりでも大丈夫になりたい? 誰かに大事にされたい?」
それに対してのとわ子の答えが、タイトルである。
「ひとりでも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい!」

こう言われた母を思ったら、胸にグサリときたことはさておき。
これは働く女性全員が一度くらいは考え、必ず見る夢だろうと思う。
THE キラキラ女子の目指すところかもしれない。

少し違うけれど、わたしも思った。
今回、無事に離婚できたのは、わたしに一定の経済力があるからだ。
けれど、経済力のないもっとかわいい女子力が溢れかえる女性だったら、離婚するようなことは起きなかったのかもしれない。

離婚から半年以上が経ち、落ち着いてこのドラマを観ながら、改めて思う。
「女性の自立」と「女性としてのしあわせ」は矛盾する命題として存在する、ということ。
今までも気づいていたけれど、はっきりと理解したくなかった事実を目の前に突きつけられてしまった。

経済力にしろ、精神力にしろ、年齢を重ねて得た力たちは、自分を自由にはするけれど同時に孤独も連れてくる。それはわたしだけではないらしい。

話を一旦ドラマに戻す。
「大豆田とわ子と三人の元夫」というタイトルと「ひとりでも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい!」というセリフからわかるように、このドラマの最後は、とわ子がデザインするしあわせとはという答え合わせがされる。四回目の結婚をするのかどうかも含めて、働き方、人間関係、様々な事柄についてとわ子が考えるしあわせとはどのようなものなのかを、とわ子は考える。
そして、選び、あるいは選ばない。

捨てる、ではなく「選ばない」と表現したのにはわけがある。
とわ子が元夫の一人に、「今でも一緒に生きてると思ってるよ」というシーンがある。
とわ子は離婚を選んだけれど、その元夫を自分の人生から追い出したわけではない。離婚してからの現実にも元夫が登場し続けることを拒否しない。
元夫たちは、とわ子を好きでい続けるのだ。

これが、この脚本家の方の提案する昨今のしあわせのカタチなんだろう。あるいは、もうどこかの社会では女性の生き方として定着しているのだろうか。

大事なのは、形や世間体ではない。
「結婚するか結婚しないか」というような All or Nothing / 0か100 / YesとNo みたいなハッキリとした明確な答えを出す必要もない。
関係にはっきりした名前も必要ない。
あえて、安定しない。あえて、はっきりさせない。あえて、持たない。

毎日、目の前の誰かと関わり、その人を思い、緩やかに生きる。
ただその一瞬を丁寧に味わえばいい。
日々の自分の気持ちを大事にして、寄り添って、お互いを大事にして、それだけで十分じゃない。
その毎日を永遠に続ける保証を手に入れようとすることをあえて諦める。
だって、毎日は自分は相手は変わっていくから。
今日と同じ一日は二度とない。

そんなようなことを、思った。

なぜそんなことを思ったかというと理由はある。
彼からの既読スルーが始まって、もはや3週間が過ぎた。
さみしい気持ちはあるものの、忙しいであろうことはわかるし、怒っているとかそういうことでもないであろうことも理解しているのだが、このまま終わるのかもしれないという漠然とした不安はよぎった。

ただ、そうだとしてもたぶんわたしの気持ちは変わらない。彼はどうであろうとわたしは変われない。わたしは恋愛がしたかったわけじゃなく、不可抗力で恋に落ちた。さみしいから彼に会いたいのではなく、彼に会いたくてさみしいのだった。だからどうしようもない。

彼から返信が来ない間、彼に相談したかったことはなんとなく自力で解決に至り、彼を好きになってから自立と自由の道を突き進んでしまっている。
だから別にいなくても困らない。いないと困るから欲しいわけでもない。

大豆田とわ子を観ながら、なんかわかるなぁと思ったのでした。
今夜も彼が大好き。
でも、明日はわからない。
たぶん好きだけど、そうやって自分を縛ることはしない。


ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
出会いに感謝します。
きっと、明日もあなたらしいしあわせが待ってます。


何度聞いても好きだなぁ。


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