わたし、死ぬのかな
こんばんは。id_butterです。
なんか誤解されてしまいそうなタイトルをつけてしまったので、先に書いておくとわたしは元気です。
さっき降りてきた心境があまりにも自分らしくなさすぎて、書いておくことにした次第です。
子どもと一緒に寝ようと横になり、でもすぐに寝られそうもなくて、いつものようにYouTubeをつけたとき、ふと思った。
「もうすぐ、離婚一周年だな。」
なんとなく、やるべきタスクはほぼ終わった、という感覚。
自覚しているタスクは、「娘に離婚のことを説明すること」だけで、これも、1年前のように「言えない」切羽詰まった感はなくタイミング待ち。
離婚より、離婚後の後片付けの方が時間がかかったなぁとか振り返る。
そしたら急に降ってきた。
「あぁ、もういつ死んでも大丈夫だな。もうやり残したことは何もない。」
突然思った。
死にたいとかではない。
ただ、ひとりだということと、もう欲しいものとか後悔とか不安とかそういう何か自分を引き止めるものがなくなって、糸が切れて宙に放り出されたような感覚になる。
自由より自由、というかもう何もない。
これがいい感覚なのか悪い感覚なのかわからない。
ただ、そうなった。
ひとりだ、そう思うけれど虚しさとかはない。
心が空っぽだけれど、焦りや不安はなくて、本当に何もない。
死んでもいいけれど、別に死ななくてもいい。
欲しいもの、あるけどあってもなくてもどっちでもいい。
やりたいこと、やらなくてもいいけどやってもいいかもしれない。
執着を捨てるとか手放すってこういうことなんだろうか。
ずっと想像してきた。
そうなったら、この好きな気持ちはどこに行くのかな。
今、こう思っている。
もし、世界で一番嫌いなひとと彼が結婚したとしても彼の幸せを願えそう。彼の子どもが生まれたら見てみたいかもしれない。
今死んだとしても、娘たちはたぶん幸せに生きていける。それだけの力が彼女たちにあると心から信じられる。
なんだか出家したひとみたいで、わたしではないみたいだ。
ちなみにさっきまでは、肉欲とか性欲とか物欲とかにまみれていた。
会いたくてたまらないと毎秒思っていたし、ショッピングサイトで何買おうかを物色していたし、このままだったら一生誰ともやらないまま終わっちゃうと不安だった。
まるで別人だ。
でも明日はどうなるかわからない。
明日はまた、会いたくて会いたくて震えているかもしれないし。
そう思ったら、一応書き残しておかないと、という気持ちになった。
終わり。
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