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北相木村を出て週末は東京で仕事をしています。ドトールとマクドナルドをハシゴしてひたすらパソコンと向き合っています。

北相木村にはドトールもマックもありませんから、大都会生活を満喫。

パソコンに疲れてマックを出たところで、首都圏のある駅の改札口近く、大きな声を張り上げている男子学生4人組に出会いました。

切符を買いながら近くで様子を見ていたら、ある育英会の募金活動でした。募金箱を手に大きな声で、募金箱の裏に貼り付けたアンチョコを見ながら、募金の呼びかけをしています。

私も学生時代、生徒会で街頭募金をしたことがあって、場所の選び方、声の掛け方、嫌味にならないように、しかし街ゆく人の心に届く呼びかけがいかに難しいか経験していたので、懐かしくて頑張れよと思い、些少の募金を箱に入れました。

見ていると、足早に過ぎ去る人ばかりではなく、想像以上の人たちが立ち止まり、それぞれの気持ちを募金箱に入れていました。
都会の人たちの心根の優しさを見た思いがしました。

男子学生が呼びかけている言葉の中に「親がいない、不慮の事故や病気で親を失ってしまったために夢を諦める子供達に全額を届けます」と言っていて、能登半島の被災地への支援も言葉にしていました。

日本は先進国と言われているものの、格差社会は広がるばかりで各地での子ども食堂の数を見ていても、奨学金という名の学生ローンの返済に行き詰って若くして人生につまずいてしまう話などを聞いていても、社会システムが持続可能ではないことに気づかざるを得ません。

年金制度や生活保護など既存の社会保障システムが持続可能でないことは明らかで、このやり方が未来永劫続くとは、恐らく運営している人も思ってはいないでしょう。ただ、今は問題を先送りしているだけです。

社会の大変革の流れで、ベーシックインカムの導入が現実味を帯びていると私は期待していますが、そこまで待たずとも、考え方を変える、環境を変えることで、子供の頃からの夢や、若かった頃の夢を叶えるチャンスがまだあるのだということを、地方で実現したいと考えています。

例えば、天然酵母を使った手作りのパンを販売するお店がやりたいとか、夫婦でカフェを経営したい、ゲストハウスを運営して世界中の人と交流したい。そんな夢を持っていたとします。

都会で働いていると、そもそも、自分の夢を思い出すことすら忘れてしまっているかもしれませんし、貯金の少なさにため息をついて、「手元資金がないと始まらないよな」と諦めかけてしまうかも知れません。

でも、私思うのですが、その夢は大都会で叶えないといけないのでしょうか。例えば美容師になりたいと夢見る人は、表参道にお店を出さないと「自分にとっての成功」にならないのでしょうか。

夢は自分のために見るものですから、表参道を夢見るは自由ですが、「人を綺麗にする仕事がしたい」「喜んでくれる顔を見るのが幸せ」と感じられる人なら、大都会で高い保証金と家賃と人件費を投じて、レッドオーシャンの土地で並み居る先輩や競争相手と戦うだけで疲れるような人生を送るのが得策とは思えません。

我が長野県北相木村には美容院はおろか床屋さんもありません。(みんな、どこで髪を切っているのだろう)

もしも、あなたが私の結構適当で無責任な誘いに乗って、北相木村で開業したら、住民650人のマーケットを独占できます。なんならお隣の南相木村1000人、小海町4000人も充分に商圏です。

土地も家屋も表参道の100分の1、いや1000分の1、いや1千万分の・・・。

あなたに変なプライドがなく、ただ「その仕事が大好き!」と思える人であれば、夢は意外にすんなりと実現するかも知れません。

田舎に住んでいると視野が狭くなると良く言いますよね。井の中の蛙と。
ところが地方に来てみると、意外にもこちらには視野が広い人がのびのびと楽しく暮らしています。凝り固まった価値観を手放して、自由に生きている人たちが多いのにびっくりします。

都会は井の中の蛙、ならぬ大海の中の蛙だったりするのです。

何が言いたいのかわからなくなりましたが、

大人が夢を諦めない社会こそが、子供が夢を諦めなくていい社会

だから、まずは大人が楽しそうに、幸せそうに過ごせる社会を作りませんか。子供の世界は大人社会の合わせ鏡です。

大人がしかめっ面している社会は、子供にとっても窮屈です。

長野県南佐久(佐久、佐久穂、北相木)での起業創業、移住、教育移住などに役立つ情報をこれからも発信して行きます。

ご質問やご意見、お待ちしています。

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