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おはようございます。
今朝の盛岡は曇りですが晴れ間が見えてきました。

盛岡の朝



一昨日の夜、YouTubeライブをやっている時、パラパラ雨が降っているなと思っていたのですが明け方、みぞれから雪に変わったようです。
気温マイナス1.8度。盛岡の初雪とニュースが報じていました。

岩手山もしっかりと雪を被っています。


開運橋から見た北上川と岩木山

紅葉を見に来た旅ですが観光タクシーのベテランドライバーさんが「盛岡市内はあまり紅葉していないんです」とのことで、予定を変えて小岩井農場に行くことにしました。


小岩井農場からみた岩手山


トラクターのオプショナルツアーで森の中へ

小岩井農場は20年、いやそれ以上来ていないので、前回いつ来たのか覚えていません。観光地というよりも私たちの生活の日常に根ざしているブランドだからかも知れません。

今回、好奇心旺盛チームの旅だったのでドライバーさんを質問攻めにしていたのですが、小岩井農場の歴史を知れば知るほど、

昔の人の情熱や行動力は凄かったのだなあ

と感心するばかりです。

1888年(明治21年)6月12日。この日、盛岡を訪れていた明治政府の鉄道庁(当時は鉄道局)長官、井上勝は、眼前に広がる岩手山の南麓に広がる風景に目を奪われていました。それは、木もまばらな不毛の原野でした。奥羽山脈から吹き降ろす冷たい西風のなか、ススキや柴、ワラビなどが散在する火山灰地を前に、井上は、この荒れ果てた土地に大農場を拓くという、かつて誰も抱いたことのない夢を抱いたのです。

小岩井農場ウェブサイトより

鉄道の父
井上勝は、日本の鉄道の父と言われる人物です。幕末の動乱期にイギリスに密航した伊藤博文、井上馨ら5人の長州藩士、いわゆる長州ファイブの一員で、近代土木技術、鉱山学などを学びました。帰国後は、1872年(明治5年)の新橋-横浜間の日本最初の鉄道敷設を始めとして、東海道本線、東北本線など、数々の鉄道工事で陣頭指揮にあたり、日本の鉄道事業の基礎を作ったのです。盛岡を訪れたのも、東北本線の延伸工事視察のためでした。

小岩井農場ウェブサイトより


大農場への思い
岩手南麓に広がる荒地を前に、井上の胸に去来したのは、長年、鉄道敷設事業に携わる中で、数多くの「美田良圃(びでんりょうほ:美しい田と良い畑)」を潰したことに対する悔恨の念だったといいます。このような荒野が手付かずで放置されているのであれば、せめてそれを開墾して大農場を拓くことで、美しい田園風景を損なってきたことの埋め合わせをしたい。それこそ、国家公共のためであり、自分がなすべき事業ではないか。井上はそう考えたのです。

小岩井農場ウェブサイトより


いちばん驚いたのは、小岩井農場の名前は、農場を開設した日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱第二代社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の3人の名字から1文字ずつ取って名付けられたということです。


小・岩・井



「小岩井」は創設者3人の頭文字を取ったのですね。知りませんでした。

そして、小岩井が三菱系だということも初めて知りました。道理で盛岡市内の飲食店はキリンビールオンリーだと思いました。なるほど。

タクシードライバーさんは寒いし、1時間くらいかなとおっしゃっていたのですが、3時間以上滞在してしまい、盛岡の市内観光が駆け足になってしまいました・・・


盛岡市内の紅葉も悪くありません


130年前にこの地に鉄道を開通させて小野と井上の先見の明。100年後を見通して国家を作る。

岩崎家も資金で全面協力。

現代のサラリーマン経営者と自分のことしか考えていない資産家とは雲泥の差。国家観を語り、口先だけではなく率先垂範する政治家もいなくなりました。

時代が違うとはいえ、先人の叡智の恩恵を受けて私たちの今があるのだということを、小岩井農場で学びました。

これから100年先、自分が関わっている村がどうありたいのか、どうあるべきなのか。深く考えていきたいと思う旅です。


カナダから贈られたメイプルの木。あっという間に大きくなったそうです

今日はこれから花巻を経由して遠野へ向かいます。


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