芸能(プロ)生活30周年??パート1
私自称作編曲家の田辺恵二は・・・
某有名カリスマアーティストCさんが9/21でデビュー30周年らしく、だとすれば私もまあまあ同じぐらいかな?と思いつつ備忘録的にnoteに書いておきたいと思います
ことの発端(プロになるきっかけ)は盟友音楽プロデューサーの浅田祐介氏(以下U)との出会いから始まり(私17〜18ぐらい)学校も学年も全く違う二人が知り合うことになるのです・・・この辺の経緯は色々なところで話しているので記事が見つかり次第リンク貼ります
そしてCさんはまだS社の新人発掘の部署の預かりだったころ最後のプレゼン(これで決まらなければ育成終了)でのUがサウンドプロデュースすることになりそこで繋がりがでる、厳密に言うとその界隈のバンドの繋がりだった気もするけどもうどうでもいいです、で見事Cさんはメジャーデビューを決るのです!89年〜90年ぐらい(これも曖昧)でそれまでもちろんアマチュアでユニット的なことをUとやっていてその関係でCさんのデビューアルバムのサウンドプロデュースをUをマニピュレートをメーカーのディレクターOさんの進言によりプロとして参加する
まあクレジットされているもので言えばここが最初だと思うのですが実はS社の方からアルバイト的にふってもらった細川ふみえさんのイメージビデオのBGMだったような気がします買取で3〜5万だったと思うのですが20才そこそこのバンドマンでもない私が超メジャーS社からの依頼となれば「やべー」と思うのは無理はないでしょう
その後Cさんのアルバムが出ると一流シンセオペレート会社の社長Mさんから声がかかり「やってみない?」と言われますが生意気にも「マニピュレーターになる気はありません」って言い放ったのです飄々としたMさんは「いいよー」って受け入れてくれました、この「いいよー」が私を作る重要な意味合いを持つのです
アレンジャーとしてはCさんを発掘したS社のEさんが恵二いいかもしれないから今度制作になってアーティスト担当するからアレンジしてねと言われうれしいけど曲作ったことも世の中に関わった作品があるわけでももちろんコードも譜面も読めない私を指名するなんてこの人頭おかしいんじゃないかと思いましたが私も変な自信に満ち溢れていたのでやるとこにしました恋愛ソングの教祖ともなったFさんのデビューアルバムでほとんどの曲をアレンジすることになります
話が前後するかもですがこのFさんデビューアルバムがリリースされたら世の中ひっくり返るだろうと自信満々な私をCDデータだかぴあだか忘れましたがレビューは「デモテープのような仕上がり」と酷評されたのを覚えています、その後特に仕事という仕事もなく前述した一流シンセオペレートの会社Hに参加していると指名ではなくても丁稚というか研修?でアシスタントで行くのですが当時同行させてもらいそこにいたアレンジャー様は私が幼少の頃から聞いてきたあの歌謡曲の名曲をアレンジされた方々で何もわからない私はベーシックのレコーディング、弦菅のダビングそしてスタジオワークを学びことになるのです、もちろんシンセの音色打ち込みのテクニックも見よう見真似で吸収しましたがどちらかというとそのスタジオワークに魅了されました。
最初の頃この大御所アレンジャーHさんの現場に行くのはとても気が重く行くのが嫌でした、でも現場に行くとHマジックはものすごく音楽の素晴らしいさプロとしての仕事のクオリティを保つという厳しさを学びました、そしてHさんは時折私にチャンスをくれ「田辺くんこのパートちょっと面白いことして」と無茶振りをくれました、もちろんチャンスとばかりに変な(自分では自信あり)な持ちネタを披露しそのいくつかを気に入ってもらえいつの日か「田辺くんあれやって」とリクエストもらえるようになりほんの少しだけ自信がつきました
この頃基本アレンジをメインにしてその合間にシンセオペレートのお手伝いをさせてもらっていました、でもHさんの現場に行くことはある程度の現場の経験を積んだ私にとって楽しみであり勉強の場であったので多少スケジュールがきつくてもすぐに駆けつけました、本当にここがなければ今の私はない経験でした
あ、なんか長くなりそうなので次回パート2に続くということで