25歳から「はしご」を使い続けていたという話
「この眼鏡は老眼鏡だね」
10年ぶりに訪れた眼科での先生の言葉に、思わず笑ってしまった。
私は今、35歳。25歳から10年間、老眼鏡を愛用していたということになる。
そんなこと、あります?
私は生まれつき極度の遠視で、4歳の頃からの牛乳瓶の底のようなぶ厚いメガネをかけており、高校2年生からはコンタクトを使っていた。
一生遠視は治らない、と思っていたのだけれど、25歳の時「遠視は治ってるよ。視力はよいから、メガネもコンタクトもいらない」と言われ(引っ越したので、初めて行く眼科だった)、無理やりパソコン用に作ってもらったメガネが、まさかの老眼鏡だったという……。
10年も愛用してしまったではないか。
しかも今回の眼科では「やはり遠視気味ですね」と言われる。
遠視、治ってないやーん!
その後、検査して合わせてもらったメガネをかけたら、あまりにも鮮明に見えて驚いた。ぼんやり見えていた遠くの文字がはっきり濃く見えるし、色彩がはっきりと映る。まるで写真のレタッチの彩度をあげた時のように、鮮明になったのだ。なんだこれはー! 遠くも近くもはっきり見える!
それに比べて前のメガネは近くしか見えなくて、遠くはぼやけて全く見えなかった。今思えば、全くもって、老眼鏡の見え方ではないか。
「常時メガネをかけるということにして、メガネを作り替えた方がよいですよ」と、先生は言った。
もうこれは「常時かけるメガネ」に作り替えるべきだ。鮮明な世界を手に入れたい。
でも、少し躊躇する。
なぜなら世界は「牛乳瓶の底のような、ぶ厚いメガネをかけた女」にすこぶる冷たいからだ。
私はメガネをやめてコンタクトにした、高校2年生の日のことが忘れられない。
その日、私がメガネをかけずに学校に行くと、クラス中がざわついた。
「メガネどうしたの?」と何人にも聞かれたし、明らかに男子の態度が違かった。
今までは、「牛乳瓶の底のようなメガネをかけた珍獣」みたい態度だったのに、「女子」という態度に変わったのだ。そして、対応も180度変わった。メガネをやめてから、世界は私に優しくなった。
だから「牛乳瓶の底のような、ぶ厚いメガネをかけている女に世界は冷たい」という、思い込みが私にはある。
どれだけ技術が発展してレンズが薄くなろうとも、メガネ女子という言葉が生まれ、メガネがお洒落アイテムになろうとも、私はあの日の衝撃が忘れられない。
また「牛乳瓶の底のような、ぶ厚いメガネをかけた珍獣」という扱いをされるのかと思うと気が重い……。そう思っていた私に、先生はこう言った。
「あなたにとってメガネは”脚立”です。届かないことはないけれど、届きにくいものを取るときに使う、脚立のようなイメージです。あった方が便利です。はっきり見えるし、疲れない。メガネがないと、目が疲れて、見ることが億劫になりますよ」と。
私は、先生の言葉にめちゃくちゃ共感した。遠視なので、両目とも視力は1.5。免許の更新時ですら、メガネはいらない程、視力は悪くない。でも、裸眼だとすごく疲れる。ピントを合わせようと目が無理をして、まばたきが増えるし、本の文字を読むのが本当に苦痛になるのだ。
……よし、メガネを作ろう。
どうか世界が「牛乳瓶の底のようなぶ厚いメガネをかけた珍獣」に優しくなっておりますように、と願うばかりである。
ちなみに、「老眼鏡の場合は、はしごのイメージ」だそうです。本当に届かないものを取るためにつかうもの。
脚立で足りるのに、はしごを使っていた私って一体……。
最後に、以前書いた文章を貼っておきます。メガネをやめて自分が変わったという話です。