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ひらがなメロンパン

コンセントの配置がとっても悪い部屋で、充電のなくなったスマホ片手に私はこの文章を書いている。
布団を敷いた場所から一番近いコンセントに充電器をつけて、そこに寄って寝ることに寄って寝転がりながらnoteを書くことに成功した!(体勢は非常にキツイ)

今日食べたメロンパンがひらがなの味がして、商品名これにした人は粋だなぁと思ったのでタイトルに。でも、ひらがなメロンパンみたいな日でした。(このメロンパン食べた人ならきっとわかると信じる)

他人の幸せは自分の幸せでもあるなぁという話でもしようか。

ここで言う他人とは、その人のことをよく知っていることが前提にある人のことである。よく知っている人がにこにこしてると、私も嬉しくなる。その人のことをよく知っているからこその嬉しさなのだろう。じゃあもしよく知らない人がにこにこしてたら?それでも私は良い気分になると思う。

他の人のにこにこをみる→良い気分になる仕組みがこの2つでは少し違う。表情から得られる喜びと、その背景を想像することによる喜びだ。どちらを感じる力も大事だと思っている。

表情から良い気分になる仕組みがちょっと難しいなと思う。人が笑う時皆同じような表情をして、悲しい時に同じような表情をするのはなぜだろうか?もし、あなたに私が「嬉しい表情の人を描いてください」「、悲しい表情の人を描いてください」とそれぞれ言ったらほとんどの人が同じような特徴を持った絵を描くだろう。それが、みんなが思う「嬉しい顔」、「悲しい顔」だ。

人が生まれながらにして、このように同じような知識を持っていることに対して不思議だと思うのは私だけだろうか?教えられなくても赤ちゃんは嬉しい時に同じような表情で笑うし、悲しい時には同じ表情をする。
本能、と言われるものなのだろうか。だとしたらとても素敵だ。人は皆繋がっていないように思えても、このように共通認識(本能からくるもの?)で繋がっている。

個人が良くも悪くも独立した形で生きていることが多いような気がするので、そんなことを考えて少しにっこりしてしまった。(この時私がしたにっこりも、多くの人の想像するにっこりと同一なのだろう)

共有する感性と、各々にある共有しない感性。このどちらも持った生き物が人間で、これが今騒がれている生成系AIとの大きな違いだ。(最近研究のこともあってこのように考えることが増えている)

だからこそ「間合い」についてはもっとちゃんと理解しないといけないし、深めたい学問だと思ったのでした。そんなことを考えて持ってきた間合いの本を読むなど。

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お風呂のお湯も溜められないし、敷布団も薄くて硬いし、隣の部屋からはガタガタ音が聞こえるけど、そんな環境でも文章表現ができるということはそんなに悪い場所ではないのかなと思う。今日はこんな環境で寝てみる。どんな夢が見られるかな。

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