湯気の中で考えたこと
今年のすずめは2022年みたいに日々のあれこれを綴りたいと言っているので有言実行。
ここ数日だけでも色々あって、過去の自分の言葉を思い出したわけで。noteに残した言葉って、自分の中にずっと残る。きっと一度思っただけじゃなくてちゃんと思い出そう、表現しようとする時間があるからですね。思い出したいことっていっぱいあるけど、なにせ日々あれこれありすぎてだんだんその思い出が色褪せてしまう。そこで記憶や感覚が鮮明なうちにnoteに綴る。時々見返してみることでここが戻る場所になる、それが私の拠り所であるんだなぁ。実際に心病んだ時は時々見返したりしてる。
自分の心の拠り所をオープンにするのは、人とオープンな関係でありたいと思うから。もっとたくさんの人を知って、この世界のことをもっと沢山知りたい。
過去のすずめがこんなことを言っている。
それでは出発。
女優コート
うちには色々なあだ名がある。人にじゃなくて、モノにだ。どういうことかというと、
・女優コート
母曰く女優っぽい、うちにある白いコート
・つねた
King Gnu 常田大希さんが着てそうなジャケット
・しろくま
白いニット、しろくまっぽい、?
こんな感じだ。別に誰がこの名前にしよう〜と言ったわけでもないのに浸透しているのが不思議だ。これが家族ってやつか。
いろいろ
一つのことだけに特化することで集中できる人、色々なことに手を出すことで集中できる人、人間には2タイプの集中があるらしい。
私は圧倒的に後者のタイプだ。そんなわけで今年もあれこれ並行して進めている。正直時々倒れそうにもなるが、量を減らすと今度は怠惰な人間にしかならない、要するに調節が効かない人間なのだ。
よく、いろいろって言葉を使ってしまうが、本当にいろいろな人生だ。
そういえば、すずめさん、来週に取材を受けるらしい。ありゃ。どうしましょうー
焦るってことは適当にしか生きていないから...ロールモデル?え、研究>音楽>>さまざまな趣味>>>>>授業みたいな人間ですよ...
学科では何学んでるんですか?っていう質問が1番怖い。みんなが思ってるのと自分が思ってるのが違ったらどうしようという気持ち。
普段のすずめだったら、違ってもいいじゃん!で押し切れるけど、モデルともなると責任が。
すずめさんの脳内の会話が本名の元で表になるのか...ひょえ
頑張ります、私の脳内頑張ってください
儀式化されてない?
お風呂の中であれこれ考えていた。今日は友達に会って恋愛話を聞いた。なんか女子高校生に戻った気分だ。気になる人がいるとのことで告白の話になって、私は彼女を後押しした。
お風呂に入ってそのことを思い出してて、あれ?と。そうか、世の中にはパートナーがいる人いない人の他にも、告白経験がある人ない人もいるのか。あまり考えたことがなかった。私はない人だ。
人生で周りが経験していることを経験していないのか。経験するとどんな世界が見えるのだろう。経験しない世界との違いはあるのか。
んー
というか、「好き」ということがこんなに儀式化されているのは何故?
女の子ばっかりの学校だったからっていうのもあるけど、私が告白という言葉の意味を知ったのはかなり遅かったと思う。
ただ好きって思ったものを好きって言うだけでも勘違いされる世の中、ちょっと苦しい。
もっとみんなが気楽に「好き」といえる世の中だったらいいのに!
世の中は複雑ですずめには難しい。
生きる意味は世の中を知ること、なのかなと最近思う。