見出し画像

9月6日

こんにちは。

BellGです。


今日9月6日は僕にとって特別な日であります。

今から20年前、2000年の9月6日に僕は留学しました。

ほぼ勢いに任せて決めた渡米、

将来設計を立てていたかと言えば、立てられてはいなく、

むしろ無計画(!!)

たくさんの面で僕の両親には迷惑をかけました。


アメリカへのこだわりは幼少の頃からありました。

小さい頃はバブル真っ只中。

父の会社では毎年のように社員・家族旅行が計画され、

ハワイなどに連れて行ってもらっていたこともあり、

海外に触れ合うことが多かったです。

僕自身は引越しを多くしていたこともあり、いじめにあったりと日々の生活が嫌になっていました。

そんな時にいく旅行先は、僕にとっては自由で、人がいつも笑顔でいるように見えていたのです。

そしてよく言いますが、空の大きさ、乾いた空気に触れることによって、

僕の海外の憧れは大きくなっていきます。

父もよく、

「ここの大学に留学とかいいな!」

「おい、あそこの女の子に声をかけて仲良くなってこい!」

と無謀なことを言っていた記憶があります。(それが本気なのかどうか、当時は本気だと思っていましたが、父のことを考えると冗談で言っていたのでしょう。)


高校受験の時期になった時、あまりにも成績が悪く担任に、

「住み込みで漁師をしながら、定時制の高校にいくのはどうか」

と持ちかけられました。いえ、それしか選択肢が担任には見つからなかったのでしょう。

その時に父に留学したいと懇願したことがありました。

もちろん、NO でしたが。

運良く高校に行け、今度は高校卒業後の進路を決める時、

高校でもオーストラリアに短期留学したこともあったため、

僕の海外熱はさらに大きくなっており、

大学は海外に行きたいと相談しました。

しかし、僕の目的は、

LA、そして音楽の学校にいきたい。

でした。


両親としては散々遊ぼ回ってきて、さらに高校では音楽漬けになっていることから単位も危なかったのに、まともな生活を送ることができるのか。

働くことのイメージが全く持てていない、自立という言葉が全く当てはまらない僕には留学をさせるなど持っての他だったのでしょう。

奇跡的に地元の短大に進学することができましたが、2ヶ月で相談もせずに退学。

その後はよくあるフリーターとしてバイトに明け暮れ、バンド活動に力を入れていきます。

この時の僕は、ミュージシャンになる夢を持って生活していましたが、

僕の問題点は、

演奏スキルを向上させるという意識が全くなかったのですね。

なので、ライフスタイルはロックですが、

ミュージシャンになるには程遠かったのです。

そう、表面的なことしかいつも見てこなかった僕は、

若い時から変わっていなかったのですね…


それでも今自分を褒めて上げられるとすれば、

そんなレベルでありながら、怖いもの知らずで渡米していくことです。


1年の日本での音楽専門学校を経て、2000年にアメリカ、ボストンに留学をしました。

無計画の僕が、まずは行くという、両親への迷惑すら想定していない馬鹿者な状態で渡米します。

それが、9月6日です。

僕が意思を持って行動した日

人生の転機

その後の人生に影響を与えてくれる第一歩の日です。


その後の話はまた今後。


今日も読んで頂き、ありがとうございました。

皆さん、台風10号には気をつけて!






いいなと思ったら応援しよう!