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自己紹介

はじめに 


皆様、はじめまして。
関西で内科医をしております、フクタロウと申します。

30代も板についてきました。
勤務医として毎日を比較的忙殺気味に過ごしております。

今回は就職してから今まで、仕事の忙しさを理由に抑圧していた、自己表現にトライしてみたいと思い、noteを始めました。

投稿する内容については特に考えておりません。
最初に指定してしまい、制限を設けほうが自分にとって良いかなと思ったからです。

自分の履歴書

もともと、本や漫画を読むのは子供のころから好きでした。
読書好きの父親からの影響があったと思います。
父は特に司馬遼太郎が好きであり、時間があれば父親の本棚をあさり、歴史小説を読んだものでした。

読書はいまでも私の中で好きなこととして、続いております。

この自己紹介の文章を書く時に昔のことを考えていると、様々な思い出が蘇って参りました。
がらっと文面が変わります。負の面が強いと思いますが、それも自分自身のことと思い、制限せずに書いてみます。

私は、生まれてから学童期まで、父と母、年の離れた姉と暮らしておりました。
父は単身赴任で、週末だけ家に帰ってくる生活でした。
平日は母親と二人で暮らしておりました。

長時間ともにする母親は支配的な人でした。「親の愛情だから」と正義を武器として、自分の考えを押し付ける人でした。私がしたいことは無視され、母自体が望むことを強制してきました。
「長時間勉強して良い成績をとらないとまともな人間にならない」
「私が頑張ってあなたを育てたのだから、言う事を聞きなさい」
「私に恩返しする気はないの?」

また父とは折が合いませんでした。
父がいるときは時と場所を選ばす、毎日のように大声で喧嘩するのです。そしてこう聞いてきます。
「私は悪くない。あなたもそう思うわよね?私の味方をして、お父さんに間違っているといってやりなさい。」
家でも、車の中でも、近所のモスバーガーでも、ひとの目を気にせず、罵倒し合う。
ひとの目が気になって、恥ずかしくてたまらなくて、とても悲しくて、どこか遠いところに行きたい自分がいました。
自転車を購入して自由度が広がったあとは、遠出をして小学生でも夜遅くまで帰らなかったことがありました。
私にとって家は戦争の場であり、いるだけでもとても苦痛を感じる場所であったのです。

今思うと、母もそんな人格にならざるを得ない原因があったと思っています。母は幼少期に祖母の代わりに妹の面倒をみたり、自分が望むような幼少期を送ることができなかったようでした。そんな不満がくすぶっており、無意識に子供へ向かう。要因があったのかなとは思います。

ただ私自身は親からの支配的な関わりの影響と両親の不和から、自分の望んでいること、考えていることを抑圧して、あまり周囲に言わないようになりました。周囲に合わせて、嫌われないことを第一に優先して、人と関わるようになっていました。ひとの評価を気にして、目立たないように、はみ出さないように生きるようになりました。
抑圧のため、自分のしたいことがいつのまにかわからなくなっていました。

他人からずれたくないことが目的となり、その手段が勉強して良い成績を取ることでした。それは機械的な、無機的な勉強でした。

結果、浪人した上で地方の医学部になんとか合格しました。

大学時代も自信のない、不安な自分を隠すため、また自分を認めてほしい思いが強すぎたためか、当時にしては珍しいほどの厳しい上下関係が残る、体育会系運動部に所属しました。
シーズン中は毎日のように練習があり、朝は4時起き、夜はミーティングや幹部からの指導により就寝時間は深夜2時を超えることもしばしば。

そんな部活中心の生活をしていたある日、医学部の実習を寝坊してすっぽかしてしまいます。1回でも休んだら挽回で挑んた筆記試験も振るわず、留年してしまいました。

そんなとき、成人して自分の目の前に現れたお酒。これは、「ーしなければならない」「ーするべき」と縛られた自分を一時的に開放させる「魔法の薬」でした。万能感、支配感を得られる、まさに特効薬。よくわからないけどつらい自分から開放してくれる。

体育会系の激しい飲み方を使って、ブラックアウトは当たり前。
自分の苦しさから目をそらして、酔わないと生きていけない状態だったのでしょう。

当時は自分を理解する術も知らなかった。
がむしゃらに目の前のことをこなせば、いつかきっと幸せになれると思っていたふしがあった。

それでもなんとか国家試験に合格し、比較的ハイパー病院の医師になり(これも多忙になることで不安、しんどい自分から目をそらすためだったのではと思っています)ワーカホリックな毎日を過ごします。

命を争う現場で、上司からは罵倒の言葉もある負荷の多い現場。
担当患者さんの数は多く、朝早く、夜遅くまで病院で過ごす。たまに早く帰れても、緊急患者さんで呼び出され、病院に泊まる。

仕事からフリーになる時間ではすでに日が暮れているので、できることは限られる。家と職場以外でのストレス発散は、当時の自分ではやっぱり飲酒しか考えられませんでした。

習慣的飲酒が始まる。酒量が増える。よる眠れない。
肥満体になり、同僚から容姿をけなされる。
体調を崩し、精神的にもダウン。灰のような日々をすごすことに。

幸い医局人事でハイパー病院を離れ、自分のことを考える時間がもてるようになりました。

そこで幼少期に好きだった読書がやっと再開できるようになりました。
やっぱり本は良い。飲酒以外の行為で幸せを感じれるんだ。

本屋をめぐり、様々なジャンルを手にとるようになりました。
心身的にダウンするほどの、底付き体験をしたため、どうしてこんな自分になってしまうのか。考える自分がいました。

本にて依存症、愛着障害、トラウマの考え方と出会いました。
自分のことをいかに考えてこなかったか、そして、いかに他者依存してきたか、気づき始めました。

自分のことを理解できない人間は、他者も理解できないし、
自分を認められない人間は、他者も認められないのではないか。
自分の醜い部分も、良い部分も、認めることで、前に進めるのではないか。
自分を認めた上で、ひととしっかりと関われるのではないか。
そう考え始めました。

文章で自分のことを表現することで、自分を理解する助けにもなるかなと思っています。

自分を満たし、他人を満たす

現在これを座右の銘として、自分を犠牲にしない他者貢献を行えるように、生活中です。

終わりに

長文となり、失礼いたしました。
冗長で、読みにくい文章の中、読んでくださった方がございましたら、ありがとうございました。

いままでものを書くといえば、病院でのカルテ記事がメイン、たまにツイッターで考えたことを発信するぐらいでした。

noteに投稿することによって自分がどうなっていくか、楽しみながら投稿していきたいと思います。

気軽に読んでいただけましたら幸いです。

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