強者の過激な発言
障害者雇用とか発達障害について、毎週日曜日に書いてます。どちらかというと障害者雇用管理者向けに書いてます。たまに関係ないことも書いてます。この冒頭の文章は、ここまでテンプレです。
炎上の件
某メンタリストが炎上しているようです。
きれいごとをいうのは簡単ですが、どの価値を正当とするかは、実に難しい話です。
というのも、前回歴史の話をして、そこで、今当たり前だと思っている価値観も決して絶対ではなく、21世紀前半の日本で通じるだけだ、という結論に至りました(そのような言葉では書いてませんけど)
価値観は同じではない
紀元前何千年前からなる長い人類の歴史の中で考えると、人権という概念が世の中に浸透したフランス革命からはまだ250年ほどですし、日本での生活保護法は明治以降なので150年ほどです。
ついでに障害者に関する法律は戦後ですので80年弱です。
まだまだ世界には身分制度が残る国もあります。このような国では「身分を平等に」と言っても、日本の私たちほどすんなり受け止めてくれないのではないでしょうか。
死刑がある国、ない国で、凶悪犯罪者に対して「死刑が妥当だ」と言った際の反応も異なるでしょう。
護衛のために銃を持つ国と持たない国の安心の感覚も異なります。
意外と「当たり前」の価値観とは、狭い範囲でしか共通しないのかもしれません。
もちろん、今回の炎上については他の文化圏の方ではないですし、タイムトラベラーでもないので、炎上すべくして炎上していますし、生きる死ぬを他人が決めるのはおこがましいことだと思いました(他人の生死に影響する判断をせざるを得ない最近の感染症対策・医療逼迫は、それ故に大変なのだと理解してます)。
価値観の違いを認識する
ホームレスにはホームレスの、生活保護には生活保護の、しかもそのカテゴリで一括りにするのも良くなくて、その対象者一人一人の価値観があって然るべきです。
なるほど、と思ってみることですよね。
それをいうなら発言したメンタリストの価値観も、なるほど、なんだと思います。「考えとしては」です。
それがいいか悪いかは別ですし、どこで誰にいうか、社会的影響力も弁えて行動するのが社会人です(と今の日本の価値観が判断したので炎上したわけです)。
まとめ
本noteのテーマである障害者も福祉の恩恵を受けますし、価値観の理解され具合で言うとマイノリティです。
強者の過激な発言を浴びることもあるかと思いますが、その人なりに善く生き、心を痛めないようにありたいものです。