存在と暴力

歩行器が外れてしまって、つけ直そうとしてる犬がいた。一緒に散歩しているのは30代前後のガタイのいい男性。わたしは彼らが居る交差点を曲がりたかったので、少し手前で停止した。自転車に乗っていた。わたしはじっと彼らの動きを見ていた。犬は、わたしの顔をチラッチラッと見て、後ろ足をバタバタさせる。歩行器がうまくつかないみたい。わたしは、あんまり彼らを見ないようにした。

男性がこちらを見る気配を感じる。すみません、という小さな声が聞こえた。全然、急がないで大丈夫です、と言ったけど、男性は何度も頭を下げた。横目で彼らを見た。男性は犬の後ろ足を左右いっぺんに荒々しく掴んで、歩行器に突っ込もうとしている。犬は痛いのかバタバタとしている。わたしは、歩行器がつかなくてしんどいんじゃないかと思った。だから、少し近づこうとして、自転車を押して前に出た。男性はすみません、すみません、と、わたしの足下を見て言う。犬は、目に涙を溜めているように見える。犬は首をグッと伸ばして、わたしのことを見ている。わたしは、彼らを見下ろしていた。自転車の左側に立って、右手、自転車越しに彼らを見下ろしていた。男性は、そのまま、無理矢理に犬の足を歩行器に突っ込んで、地面についた膝を持ち上げ、中腰で犬の首を2回、強く引っ張った。犬は、ずっと顔を固定させて、わたしのことを見ている。わたしは見下ろしていた。

わたしはそこにいただけだった。わたしの存在が、何も悪くない、ひとりの男性と、1匹の犬に、謝らせた。すみません、と言わせた。何度も。頭を下げさせたし、わたしは見下ろした。わたしは見下ろすだけだった。わたしに謝る彼らを、わたしはただ見下ろしただけ。

わたしは、持ってしまっている。力を。生きてるだけで、かわいい犬を、ガタイのいい男性を、謝らせるほどの力。焦らせるほどの力。ほんとに、酷い。酷い力だなぁ。怖い。力が怖い。ほんとうに、怖い。

こんなの、ほとんど暴力だ。世界への暴力だ。世界からの暴力だ。わたしへの暴力だ。

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