0
インド人は0を発明し、それは人類の文明の発展に大きく寄与したが、私は時々0を無視する。
現代人は存在しないということを記録することについてネイティブだ。私はあえてそうはしない。
今日の洗濯回数、0。腹筋回数、0。
こんなゼロは、日記に書かない。
洗濯をしたら「1」と書くし、腹筋をしたら初めてその回数を記録する。
0を記録するというのはそれだけで罰則めいた意味合いを持つ。
いい0もある。無事故無違反、本日の交通事故数0件。実に素晴らしい。
なのでそんな0を書いてみよう。う〜ん。思いつかない。頭の中も0だった。
思いつかなかったので、「思いついたこと:0」とする。
:0
↑顔みたいだね
😮
思いついたこと:1になってしまった。この「:1」がまた顔みたいなので(・⇀・)、「:2」になる。きりがないかも知れない。
0のことを考えて無限の縁を覗き込みそうになったので、慌てて首を引っ込める。
0の真ん中の空白は無限を表すのかもしれない。
0とペンで書く。その線は無限の縁を表している。
無限を縁取りながら、自身は一つも得られていないことを記録する行為。それが0を書くということだ。
0を書く線は、であれば境界だ。
無限と自分の間に一本の線を引き、無と有に区別する。
そこに大きな断絶が現れる。
やはり、0を書くことはまじないだ。
望ましくないこと:0と書く行為は、望ましくないことが無限に存在する状態と今の状態の間に境界を書くことだし、その逆もまた然りだ。
この一本の線は濃く重い。
インド人は、無限を封じる一本の線を以て「無」を表現したのだ。
えっ、ほんとに"ゼロ"を「0」にしたのはインド人の誰かなんですか?
……😮
どうかな
調べてみよう
………………
…………………………………
ペルシャ人のアル=フワーリズミーさんでした〜〜〜🥳
😮
ふ〜ん。インド人じゃなかったんだ。
色んな人の手を経て、今の0は誕生したんですね。
ゼロもこう、概念のままでインドを出発してギリシャとかで認知されてみたり、ペルシャで今の記号を当てられたりしてたみたいよ。
ふ〜ん。あいつの旅路、全然0やないやん。
0を名乗る奴が実はツワモノとか、よくあるけどアツい展開よね。ORIGINって感じやわ。
まあそんなすごい経歴を持つ0の方ですが、私の日記からは出禁です。