サカノボリ日記 6月12日〜6日
6月12日
引っ越してきた時に新調したお気に入りのリネンのカーテンを初めて洗濯した。裾が少しカビてしまったので焦ったけどきれいに落ちてよかった。そしてカーテンをレールから外して洗ってまた取り付けるのはとても手間だけどやっぱり気持ちがいい。
近所のお寺のイベントでアフリカンライブに参加した。こういう場でノるのはけっこう難易度が高い。でも「B'zのライブであんなにノリノリなのになんだこのザマは」と自分が自分に問う。すみませんという気分になる。
夜は家族の誕生日のお祝いをした。ケーキを用意してごちそう(というほどでもないが)を作って家族でいただくだけなので、日常とさして変わらないかんじもする。かしこまってお祝いをするのは苦手意識がある。特にイカニモな家族団らんになぜか抵抗心もあるのだけど、、、それはそれでちょっと置いておいて、ベタにお祝いをしてみたら、家族はとても平和だった。よしとしよう。
6月11日
この日は夜ごはんが遅くなって、今から家で作るのもちょっとという感じだったので外食に出かけようとしたけど、めぼしいお店がぜんぶいっぱいであきらめた。だいぶレストランが賑わいを取り戻しているみたい。季節も関係あるのかな?
仕方なくあきらめて閉店間際のスーパーにいって値引きシールのついたお刺身などをたくさん購入してきた。スーパーでおいしい地魚のお造りが手に入るのもこの辺ならでは?以前住んでた都内のスーパーでは冷凍マグロか養殖魚くらいだったのでうれしい。
ここに納豆とツナマヨを追加して炊けたごはんを酢飯にしたら立派な手巻きパーティー。みんなでもりもり食べておいしかった&楽しかった。
6月10日
サーフィン入門講座で波乗りした。若かりし頃ボディーボードを少しやったことがあるのでだいたいは分かってたのですぐに慣れて、もちろんほんの小波だけど自分でパドリングして波に乗って立つところまで一通りはできた。
この遊びは初心者にとって、身体技術的なところはシンプルなのだけど、一番大事なのは波を見つけるところだなって思った。遠くのほうからやってくる波が自分のところまで来るころに大きく育ってちょうど割れるかどうか、そういうのを見極めて「よし次いこう」と決めて動けるかが大事だな。
ちょっと前の私は間違えることが苦手で、波を見誤ってムダな動きをしたり、それじゃないのにって周りの人に思われたりするのを気にしたり、、、考えすぎていい波を見過ごしちゃうみたいな感じだったけど、今は「よし次の波いこう!」って自分で決めてチャレンジできるようになった。やってみたらぜんぜん小さい波で割れなくて、ありゃーってなることもあるけど、それも全部笑って、よし次!ってトライ&エラーを楽しめる。そんな自分を感じたよ。
6月9日
地球を生きるワークショップを葉山で主催しました。とにかく梅雨入りしたというのに晴れ間が広がっていいお天気。前回は森戸海岸〜真名瀬〜三ヶ丘と歩いたけど、今回は一色海岸〜森山神社〜三ヶ丘とより私のホームエリアを歩くコースだったので、それもこれも全部が自分へのご褒美のようだった。
私がこの場を主催する動機って「素晴らしいワークだからみんなに体験してもらいたい」というのももちろんあるけど、なんというかコレを餌に私にご縁のある色んな人たちに集まってもらいたいというのが強い。もしこの機会がなかったら出会わなかったんじゃないの?と思えるような、私の東京のママ友とこっちのママ友が同じ場に介していたりとか、あの講座で出会った人とぜんぜん違う仲良しの人がであったりとか、そういうあちこちの人が私がつくる場でつながって新しいご縁が結ばれることに何より旨みを感じてしまう。それで、あとはもうそれぞれがどんなことを持ち帰るかは私の知ったこっちゃねーな感じ。伝えたいメッセージなんてないし、広めたい教えもない。お好きにどーぞ。ひとみさんの教え的にいうと、一人ひとりが奇跡存在で奇跡×奇跡の出会うご縁の天文学的な確率といったら!そこが交わる奇跡をただ歓び味わうのだよ。
そんなことを思っていると、自分の葬式はそういう場にしたいという考えが。通夜振る舞いをワークショップ形式にして、参列者のみんなに「今日はどこから来ましたか?」「故人とはどんなご縁ですか?」「いま感じていることは?」なんてチェックインしてもらったらめっちゃいいな。人数が多かったらワールドカフェ形式かな、各テーブルに1人ずつ親族が座っていろんな話を聞かせてあげられたらいいかも、なんて妄想。遺書に書いておきたいなマジで。家族がそんな取り仕切りができるとは思えないから、生前に誰か名ファシリテーターをアサインしておかなければ。誰にお願いしようかな〜?私より長生きする人じゃないと。なんて考えると楽しい。
6月8日
久しぶりに旧村上邸でSDGsカードゲームのワークショップをやった。ここでこれをやるのはコロナ前以来。当時は都内に住んでいる私がわざわざ電車にのってやってきてここでワークショップをすることがなんだか不思議なかんじだったけど、、、気がついたら私もコチラの人になっていて、それでまたここでできるのがなんだか感慨深かった。
別にわたしはSDGs推しでもなんでもないし、胡散臭さもやはりある。だけどゲームはやはり楽しいしこれが一人ひとりが自分と向き合うきっかけになるのはとてもいいなって思う。ゲーム中の行動を通して常識だと思ってたこと当たり前だと思ってたことにハタと疑問をもつ。別にそんなルール決められてなかったよねって。いつも自分これやってるなとか、ああそうかこうやったらいいんだ、とか。そして自分も世界に影響を与えていることを実感して、自分が何をしたいか選択するぞって思えてたらいいな。
6月7日
大好きな友だちとニコタマでやってるEND展にいった。死は最近のテーマだから。すっかり禁忌感はない自分に気づく。そして印象的だったのは、いろんな人たちが死の間際に(を想定して)誰かへ当てた遺言をスマホでポチポチ打つインスタレーション作品。10分間文字打つ動作もそのまま再現されているから、途中で言葉が続かずになかなか文字が進まない人とか、何度も消して書き直す動きとか、宛名も内容もさまざま。遺す家族に向けた感動的なメッセージから、親への感謝やはたまた恨みまで。そこには人の数だけ人間ドラマがあって、、、というかいかにもドラマや小説から影響を受けたような感じ。「自分がもうすぐ死ぬことを想像する」なんて、なんて甘美な悲劇感動ドラマなんだろうか。最後に死にまつわるエピソードをみんなが手書きで書いて壁一面に貼り付けてあるんだけど、それもちょっとゾッとしたわ。なんつーか、なんつーかね。「死」ほど人間の想念がまとわりついてるモチーフってないなって。そしていろいろ死にまつわる漫画のシーンを切り抜いて展示されてて、漫画好きとしてはフムフムという感じ。あたらしく読んでみたい漫画もあったし、何より名著トーマの心臓のラストシーンがどどんとあって満足。
そして一緒にいった心友とのアフタートークが何より至福の時間だった。絶望とか希望とかのドラマをわざわざ引っ張り出さないで、さらりと死についてシェアリングできるのがとても心地よいの。本当に彼女との時間はいつも気持ちがいい。見えるもの見えないものどちらもフラットに扱いながらちょっと高次?なことからゲスなことまでおしゃべりが楽しすぎるのです。
6月6日
ちょっと珍しくオンライン続きだった日。少し懐かしい感覚が蘇るような日だった。人が何かをそれっぽく話す空気感がどうにも苦手。なんてことを思った。