三浦春馬さんのあの日から2週間ケロっとしていた40代女の私が突然涙することになってそれがどうも普段乗れてない社会現象みたいだから書くチラ裏note。
表題でだいたい語ってしまったけど、まずは自分のために書く所存。
三浦春馬さんの自死を「つらい」「死にたい」と引きずってしまう“真の理由”
「あの日」からしばらくして、こんなコラムを目にした。
2週間経っても、なおつらい。
特にファンでもないのに動揺が収まらない。
同じ現象に苦しむひと、多いのか・・。
記事は、無理に春馬さんを忘れようとしなくてもいい、と言ってくれる。
書き散らすだけで済まなくなってる人がいるなら、連絡を。
30分だけ自分に猶予を。
思い出すべき三浦春馬さんがいない。
実は、三浦春馬さんの作品はひとつも観たことがない。ドラマも映画も。
40代も半ばの私だと春馬さんとは一回りも年齢が違ってしまい、マーケ的に視聴者像から外されていた、と感じる。わずかに主演が篠原涼子さんの『ラスト♡シンデレラ』なら対象年齢に入っていたかと思うが、「イケメンの芝居が面白いわけがない」といった理由で観なかった。
だから、私は思い出せる春馬さんがいない。「あの頃は三浦春馬のあのドラマを観ていて、彼とともに過ごしたわ」と思える時代がない。
最初から彼はいなかった。私はだから、何も失くしていない。
そのはずなのに、毎日泣いている。おこがましくはないか。
8月半ばにもなって、気がついたら春馬さんに泣いている。
自分の反応には驚いている。
どうもそれが、似た状態にある人が多いことを知ってそれにも驚いてしまう。自分は世間の興味関心とか社会現象にはなかなか乗れないタイプだからだ。
どうしたらいいかわからないけど、どうしたらいいかわかる。
消化するんだ。いや消耗か。昇華か。このアカウント作った。全部このアカウントに背負わせて、私から分離していってもらう予定。
自分の反応には、本当に驚いている。
自分、冷たい。
今まで有名人の訃報に動じたことはほとんどない。
私、冷たい人間だと思う。
このチラ裏(チラシの裏の落書き)なnoteを読んでくれる優しい人には、謹んで言う。
このnoteは、自身が「冷たい」と認識している人間が書いている。なので三浦春馬さんをすごく愛していて、今とても傷ついているファンにとっては読みづらいと思う。危ないと思ったらここは閉じてほしい。
いい・・?
私、言いましたよ。嫌な気分・悲しい気持ちになったら閉じて。
その場を離れて視界を変えて。吸う空気を変えて。自分の心を守ってね。
心の冷たい私が、深めになにか思った有名人があったとしたらマイケル・ジャクソンくらい。
世界的スターが!というバッファがかかって数日間、衝撃が大きかったけど、「でも私、同じ時代に生きられて運がよかった。自分、間に合ったんだ。ありがとう!」てな感じで、大切な宝箱をもらった気持ちになった。
最近の訃報で言うと、志村けんさん。
志村けんさんを見て育った世代のくせに、亡くなった悲しみよりも「あの方の社会的なお役割」に対して書いてるばかりだった。
ああ喜劇王だからこそ、その悲劇は日本人を貫いた。最期はその身をもってコロナの悲劇を教えていかれた・・と。
志村けんさんはご自身がコロナ感染症であることを認識できずに逝かれたそうなのだけど、結果的に身を挺して日本人の意識を高めてくれた。というのが私の率直な思いだ。
3月末、日本人の多くはまだこの感染症の「この先」に気づかぬふりをしていた。
みんな、世界の悲鳴を聞いているんだろう?ちゃんと目線を合わせてくれ。志村さんの治療に使われたエクモ(ECMO)は、日本にはわずかしかない。呼吸器の保有台数は世界最低レベルなんだよ。・・みたいなことをどっかに実名で書き散らしていた。
参照していたのはこんな記事。
8月現在の結論から言うと、幸い日本人は「今回の感染症」には耐性があるようで、極端に重症化率は低く、「あれ?NYやスペインみたいにはならないね・・?」といった安心感に包まれている。
そしてあの日。
三浦春馬さんのあの日。
その一報は、春馬さんを意識したことのない自分にさえ衝撃だった。
えっ! と言ったきり、人に声かけられるまで動けなかったもの。
同時に、死因の2文字があって・・。
なんて読めばいい。ってなった。
嘘でしょって言いたかったけど、第一報でこの「自殺か」が出るときは大抵、事件性がない時。
7月18日、夕方4時くらいだったかな。
たまたまその情報をキャッチするのが早くて、FBやSNSにはあまりその情報が回っていなかった。
私はSNSにそっと書いた。美貌で、それを奢ることのない人とだけは感じていたから、そのことを。
最初は。
そんな国宝級のイケメンで、海外ブランドのアンバサダーに選ばれるスタイルしてて、歌って踊れて、その選択の理由はなんだよっていう気持ち、大きかった。
知ってると思うけど、リーマンショックを超える未曾有の不景気が約束されたこの世界で、死にたいやつなんか何万といる。事情わかってなくてごめんなさいって思いながらも、きっと彼はそんな、“わかってない人が一度は通る感情”もわかってそうだから、遠慮なく思った。
あなたみたいな人が自分で死んでしまうんじゃ、みんな死にたくなっちゃうじゃないか。
ご冥福を祈ります、って私すぐ書けない。
40代なんだから大人になんなよと自身に思うのだけど、誰かが亡くなってすぐ「ご冥福をお祈りします」とか「お悔やみを申し上げます」ってコメントできる人、すごい大人って感じる。
安らかな眠りを祈れるほど、私の心はすぐに整理されない。
今回は何日かかるかわからない。そのうち言うタイミング逃すんだけど。
感情的に整理できなくても、やり過ごせる方法はある。
自身に大量の情報を飲ませて、右に左に、とにかく処理をさせる。SNSに記事をピン止めして、片っ端からコメントや関連リンクや調べたサイトなんかをぶら下げる。目の前に情報のカーテンを厚く垂らしながら、感情をシャットダウンするのだ。
比較的平穏に、数日過ごしてしまえる。
音楽の日2020の城田優さんのステージには泣いたし、春馬さんの新曲「Night Diver」の完成度と歌詞には震撼した。けれどなんとかその場を凌いだ。
実にあの日から数日、三浦さんの事情、ファクトについての記事は少なかった。
報道各社は昨今、WHOの通達や厚労省の指導に従い、この手の報道には一定の基準を設け、自制をしている。
報道が今まさに心が揺れている人の強い共感を誘ったり、自死願望の背中を押すようなことがあってはならないからだ。
(ライターの端くれとして、このnoteが規制にあたると自身が判断した場合や、そういったコメントがついた場合は公開設定を考えなければと感じている。)
凌いだ次の日からはケロッと忘れた。自身も仕事の締め切りを抱えて多忙で、毎日上がってくる政治経済・社会情勢のニュース、仕事関連のリファレンスなんかを大量に飲みこみ続けた。
むしろ、台湾元総統・李登輝氏が逝去された7月30日からは、台湾人の友人とSNSで追悼の言葉を送り合う日々だった。
今見返すと、あの日から2週間以上も、私のSNSアカウントはウケのいいネットニュースだとか、夏向きのお手軽料理だとか、徹夜で仕事を仕上げている日々だとかが思い出せる内容になっている。
8月も5日になったころ、仕事中の私が突然泣いた。
「Night Diver」のMVをふと観ており。
ごく平坦な感情で、コーヒー取りに行って気づいた。今私、春馬さんの前で泣いてたよな?
おまえいくつだよ。と私。
40代半ばなんだけど??と私。
ここからも長いから、また書きます。ありがとう。