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寿命を知って生きるとしたら?

私はいくつまで生きるのだろう?
親はいくつまで生きるのだろう?
私は親より長く生きるのかな?
子供は自分より後に亡くなるのか?

もしも、寿命がわかったら?

そこまでどう生きよう。

そこまで死なないのだから
どうせそこで死ぬのだから
何をやっても良いのだと
犯罪が増えるのかな?

様々な問題がありそうだけれど

寿命がわかれば単純に老後資金がどれくらい必要か問題に対応しやすいのにと思った。

生まれた瞬間に寿命がわかるのではなくて
例えば、40歳の誕生日を迎えたらその先何年生きるかわかる仕組みになっていたら

その先の選択に役立つのではないかな。

寿命を知りたい、知りたくないの選択はできたほうが良いのかもしれない。

自分のために自分が死ぬまでの間にしっかりスッカラカンになって良いんだ。
足りなくならないように、40代から計画できるのだ。

亡くなった後にかかる費用は最低限で自治体がやってくれる仕組みも欲しい。
初めから納めてきた税金を充填してくれたら良いのに。

死んでからいくらかもわからないお金がかかるなんて馬鹿げてる。
もちろん、何百万かそれ以上かけてやりたい人はそうすれば良いのだけれど
庶民はその分生きている人間に回したい人が多くても不思議ではない。

60歳を過ぎて、ペットロスに陥り
体力や気力の衰えを強く感じ。
今までなかった不調に見舞われたり。
持病があったり。

後何年生きるのか分かるなら
知りたい。

知った先はかなりショックなのかもしれない。
それでも、寿命を知ったなら
病気での長期入院は避けられるように生きたい。

有限の自分の時間で何かを経験できるのは動ける体で居ることが大前提だ。
ただ、何も無い毎日を過ごすにしても動ける体がなければ崩れていく。

お一人様は苦手だけれど
寿命を知れば、お一人様を満喫も良いかな。

自分の死の正確なカウントダウンを迎えるなんとも言えない虚しさ、切なさ、苦しさ
複雑な沢山の感情が溢れるのだろうけれど

自分の最後をどこで誰と迎えるか
究極の最後の選択、メイキングができる。

ふと、そんな風に考えた。

寿命を知って生きるとしたら?

とても難しいね。

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