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前日譚オブ土屋玲実誕生祭2024《'23.12.22-'24.2.18》

2024年4月5日、金曜日の夜。僕は今、大阪・天満橋のホテルのロビーにいる。
弊社の他店舗応援で9日間大阪に来ることになり、大阪から東京にいる推しに想いを馳せながら、推しの誕生祭に纏わる書き物をすることにした次第だ。

実際はもう少し前から書き始めてはいたけど、仕事やライブ遠征などで時間をなかなか見つけられずにいた。

気づけばこの3か月ほど、色々なことが起こっていた。
その全てを記そうとしたら、僕にはそれなりの量のエネルギーが必要だった。前回みたいに1万2千字も書くかは分からないけど、忘れないうちにしたためていこうと思う。

そしてまた長くなりそうなので、今回は三部作として分割することにしました。いつも通りの、しがないアイドルヲタクの主観に満ち満ちた恥ずかしい文章を展開していきます。
今回の前日譚はほぼ記録に近いところがありますが、ひとまず時系列順にいろいろ順番に書いていこうと思います。

こちらの前回記事もご参考までに。一応この続き…になるのかな。



初凱旋と誕生祭、そして初海外遠征

2023年末、クリスマスパーティーで発表された推しメンこと土屋玲実さん(以下れみりん)の誕生祭。
しかも定期公演と併せて、れみりんの出身県である静岡県の清水で開催される。初めての静岡での凱旋ライブだ。

僕はこの発表を聞いて、思わずガッツポーズしていた。
推しの初凱旋ライブと誕生日を一緒に祝える。こんな嬉しいことはない。行かない選択肢が存在するの?って話。

そして僕にとっても、れみりんの誕生日を祝うのはこれが最初となる。
それが初凱旋と重なるのであれば、喜びもひとしおだ。


ちなみにこの日からX(旧Twitter)のプロフィールからSTU48の名前が消え、誕生祭の日にちが書き加えられた。


年が明けて1月4日(木)には早速地元愛知から東京へ赴き、2024年のカレアイ始めとなった。

その後、1月14・15日(日・月)が連休で、16・17日(火・水)が東京で研修となったので、会社の金で東京往復ができることとなった。

ちょうど14日は幕張メッセで開催された自動車関連のビッグイベント・オートサロン2024のステージにカレアイが出演するとのことで、大きなアリーナでの珍しいライブということもあり、なかなか楽しみなイベントだった。
しかも、たまたま普通にオートサロンに行く予定だった昔なじみのヲタクが2人いたので、引きずり込んで一緒に見ていた。

大きな会場でのカレアイを、あえてスタンド席の遠い場所から推しを見ることにした。
今は近い距離感でも、いずれこんな風に遠くから見る存在になってくれるといいな…という期待感を込めて、初めて見る「推し変なんて許さない!」衣装でパフォーマンスする推したちを眺めていた。

その翌15日は元々豊洲PITで櫻坂46のBACKS LIVE!!を見に行くことになっていた。
その直前、数日前からまことしやかに囁かれていたカレアイのマカオ遠征が公式発表された。
カレアイ初の海外遠征だ。

16・17日と2日間に渡って行われた会社の研修で、僕は講義そっちのけで、マカオに行くべきか逡巡していた。
休憩時間に飛行機の料金を調べたりしていた。

ぶっちゃけ言えば行きたい。
なにせ推しの初めての海外遠征であり、僕にとっても初めての海外。幸運にもアジア圏ならさほどハードルは高くない。

だけどさすがに初めての海外に行くのにこんなに短期間で準備できるのか? お金は? そもそもパスポート申請しなきゃだろ? …そんなことをぐるぐると考えていた。

そして僕自身のこだわりとしては、まだ未訪問・未宿泊だった沖縄県を訪れて、未宿泊の滋賀県で宿泊をして、47全都道府県宿泊を達成してから海外進出をしたかったというのもあった。
ただ、そんなこだわりは一番最初に捨てた。


いろいろ調べてみるうちに、LCCで関空(愛知在住なので)から香港に行き、そこからマカオへ行くのであればそこまで費用は高くないことが分かった。
パスポートの申請から発行までも、さほど時間は掛からなさそうだった。

東京での研修を終えて愛知に帰る新幹線の中で、僕の決意は固まった。このポストは、その時の決意の表れでもある。
そうだ、マカオ行こう。


誕生祭が天皇誕生日の2月23日、マカオが土日の2月24・25日と3日連続となり、異常とも言えるようなスケジューリング。
メンバーも大変だし、両方行こうとするファンも大変。それでも僕は決意を固めた瞬間から、胸が高鳴るのを感じていた。

小売業をやっているので、三連休の書き入れ時に三連休を取ることについては正直後ろめたいものがあった。
しかしながら今年は偶然にも2月に三連休が2回あり、副店長の僕が誕生祭のある3日間を休む代わりに、店長がもうひとつある三連休を丸々休みにすることで、取引を図った。

その後なんとかシフト調整の目途もついた。
その代わりと言ってはなんだけど、誕生祭以外に行こうと思って希望休を出していた対バン2回は行けなくなった。


とはいえ、誕生祭と初海外遠征が連続することに、不安がないわけじゃなかった。
何よりも一番の懸念は、誕生祭の記憶が海外遠征で上書きされてしまいそうなことだった。

もちろんどちらも大事な思い出にはなるんだろうけど、誕生祭という特別な時間を過ごして余韻に浸る間もなく次の波が来てしまえば、人間の記憶なんて簡単にかき消されてしまう。
そうなるのが目に見えているから、実際のところマカオの日程をここに入れられたことに一抹の不安があった。

今にして思えば、海外遠征できることに対する期待感は、推しの誕生祭を迎えることに肩を並べるほどに高かった。
とにかく、ずっとワクワクしていた。


祭りの準備

21日には、前年秋の2周年ライブで発表があったカレアイのユニットが披露される、ユニットパーティーが池袋harevutaiであった。何気に初めての箱だ。
この時、特にマカオに行くことは言わなかった。

SNSでも、マカオに行くことは言わなかった。
せっかくだしサプライズで行こうかなと考えたのもあるし、海外遠征するぞーって高らかに宣言するとなんか変にマウントとったような感じがして、言いづらいのもあった。
別にそんなの気にしなくてもいいのに。

ちなみにユニットパーティー、ネバギブ3連×2回という非常に頭の悪い(誉めてる)構成に、僕はテンションがあがりっぱなしだった。
もちろんふわふわキャンディの中毒性の高い「メルヘンライフ」、Escape i DOLの圧倒的パフォーマンスを誇る「SSS」も、ユニットの特色がしっかり表れていて見ていて楽しかった。


その後、以前から遠征予定とされていた2月17・18日の土日両日の遠征先が名古屋であることが、27日に発表された。
2月は誕生祭以外のライブが絶望的だったけど、なんと僕の地元名古屋、そしてれみりんの地元静岡と、お互いの地元で会えるという幸運に恵まれ、僕にとって今までになく楽しい2月になりそうな予感がした。


さて、航空券を早速買おうと思ったものの、2月末に入る決算賞与を見込んでのマカオ遠征の決定だったため、2月支払いにしたくて申し込みをしばらく待った。
1月30日(火)から3連休だったため、30日にはバスで東京へ行き対バンを見て、そのまま夜行バスで31日の朝に愛知へ帰ってきた。


そして待ちに待った2月1日、僕は満を持して航空券を申し込み…できなかった。
うん、パスポート番号が必要なんだね。知らなかったよ。白目。


2月2日(金)。僕は午後を半休にした。家庭の事情、とだけ伝えた。

その足で、僕は勤務先の名古屋市港区から、豊橋駅へ向かった。
愛知県東三河地区で最速でパスポートを発券できるのが豊橋駅近くの事務所しかなかった。

夕方なんとか申請に間に合って、翌週9日(金)には受取ができるとのことで、ひとまずホッとした。
地元・蒲郡の市役所で申請していたら、カレンダーの都合で13日(火)になっていた。出発まで残り少ない中、この4日間は貴重だ。
いや、もっと早めに申請しとけやって話なんだけど。

ちなみに上のポストの「用事」というのが、パスポートの受取のこと。いわゆる「匂わせ」というやつだ。


その後、マカオに備えて徹底的に知識を吸収していた。
海外への渡航というのは、難しいようで案外そうでもないのでは?と思えたし、やはり新しく得られる知見は新鮮だし刺激的だった。

23日に静岡で誕生祭と定期公演、その夜に大阪へ移動。
24日朝に関空からLCCで香港へ行き、バスでマカオへ。夜にライブを見て一泊し、25日午前にマカオから香港へ移動して昼の香港発の便で日本に帰る。

普段あんまり旅のスケジューリングをしないんだけど、徹底的に準備していた。

そんな矢先の2月15日木曜日、事件は起こった。


マカオショック

楽しみにしていたカレアイのマカオでのライブが、延期となった。


前述したけれど、僕がパスポートを手に入れたのは2月9日だった。その直後、もちろん香港までの航空券も取得していた。
取得から1週間も経っていない中で、目的だったライブは露と消えた。正直意味がわからなかった。

理由は「入国ビザの取得を鋭意進めていたところ、公演関係者の業務許可における不測の事態により」とある。
やっぱり意味が分からなかった。


とはいえ、延期になった以上それは覆しようがない。
まず現実を受容する。その後のことはそれから考えればいい。

1時間ほどが経ち、僕はなんとかマインドを切り替えた。ヲタクは切り替えが早くてナンボだ。

僕の場合、Peachのシンプルピーチという予約だったので、予約変更料、復路便の手荷物預かりの再支払い、そして料金そのものも繁忙期ということで搭乗便の値段そのものが上がっているので、2~3万円程度の追加出費だっただろうか。(正直よく覚えてない)

ホテルは安宿だったけどキャンセル不可だったので、1泊1万円程度がそのまま露と消えた。

ただ、逆に言えばこれぐらいで済んだので良かったとも言える。
後から知ったけど、他のファンの方幾人かはパッケージだったのでキャンセルが一切できず、結局誕生祭のあとマカオに赴かれていた。


僕は2018年初頭からSTU48に5年近く通っているけど、STUもかなり苦難の多い道のりだった。
デビューシングルの発売延期、2018年7月の西日本豪雨とそれにともなう2ndシングルの発売延期、船上劇場の度重なる就航延期、COVID-19による様々なイベントやライブの中止・延期…と、数えればキリがない。

ある意味STUで鍛えられていたとも言える。
そもそも、何もかもが順風満帆に行く方が逆に怖い。逆境も楽しんでこそのアイドルという趣味じゃないか…そんなマインドだった。


可憐なアイボリーの初対バン遠征、そして迎えるその日

そんなこんながありながら、2月17・18日の名古屋での対バンを迎えた。
なんと、カレアイの対バン遠征はこれが初めてだという。初の海外遠征はなくなったけど、初の対バン遠征に立ち会えたことは嬉しいことだった。

とはいえ両日とも土日で仕事なので、初日の17日のほうは到着がほぼカレアイの搭乗時間だったので、だいぶギリギリだった。

最後方でペンライトを焚かずに後方彼氏面をしながら見ていたけど、最後の最後で緑色を2本点灯した。
あとから聞いたら、「来るって言ってたはずなのにどこにいるんだろうとずっと探してた」と言っていたので、ちょっと申し訳ないことをしたと思った。

基本的にはずっと沸いてるので、あんまりライブの感想っていうのは得意じゃないというか、シンプルに楽しかったかどうかってのが一番の指標だとは思っている。
とはいえ、久しぶりにまじまじと見るカレアイは、キラキラしていた。

そしてファンサの落ちサビ、フロアの皆が手を伸ばして掲げるペンライト(と拳)の光景がすごく綺麗だった。
カレアイはいいな、そんなことを思いながら最後方からフロア越しのステージを眺めていた。


この日は、何をとち狂ったか昔馴染みのヲ友達と大須の立ち飲み屋で終電まで飲んで、帰宅したのが1時ちょっと前。
翌日もいつも通り朝7時ちょうどの電車に乗って、仕事に向かった。とても仕事にならなかったけど、充足感はあった。


そして仕事が終わり、また前日と同じように栄のライブハウスへ。
この日は多少ゆとりがあったし、何より前方チケットだったので、さすがに前方で沸き倒していた。

この日はれみりんの22歳最後の日だった。
日を跨いで、23歳の誕生日を迎える。

こんなに足繁く通っても飽きが来ないって、推しってすごいなと改めて思う。
僕らを飽きさせないように、自分の見た目にも色々な変化をつけたり、ライブでどう魅せるか考えて、常に進歩をしている。


特に22歳の一年は、れみりんにとっても変化の大きい一年だったんじゃないだろうか。

僕のカレアイ初現場は2023年7月16日の山中湖SPARKなので、それ以前のカレアイやれみりんの情報は断片的にしか受け取れない。
だから推測でしか話せない。


だけど髪を切って以降のれみりんは、以前とは纏うオーラが変わってるように思う。
それは決して髪を短くしたという理由だけに留まらないのではないか。


初対バン遠征2日目、「夢ファンファーレ」を披露してくれた。

これまで生きてきた中で、僕にはおよそ「夢」というものがなかった。
趣味や好きな物はあるし、やりたいこともある。だけどそれは夢じゃない。
だからなのかは定かではないけど、人の夢を応援することである意味で自己実現の依り代を得ようとしているのかもしれない。

でも、それの何が悪いのか。
人の夢が自分の夢になってもいいじゃないか。

人の夢が叶えば、応援していた自分も嬉しい。
その進む過程を共に過ごす。言うなれば一蓮托生のような生き方。そんなのも悪くない。
だからこそ、アイドルはアイドルたり得ている。


推しの、れみりんの夢を楽しむ。
それを具現化した夢の時間は、もうすぐそこまで来ていた。

18日日曜の対バンが終わり、翌日も仕事なので僕はホテルを取った。
対バンも勤務先も名古屋市内だけど、家に帰る時間がもったいないし、何より推しの歳越し配信をゆっくり見たかった。

そして2月19日。
僕は名古屋駅近くのホテルの一室で、れみりんの誕生日を迎える。

(第二部へ続く)

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