推物語 (1) ~僕とSTU48原田清花さんの場合~ ['20.2-'21.3]
SNSで、誰かがこんなことを言っていた。
アイドルヲタクも特にこの傾向は顕著だと思う。
アイドルヲタクにとって、自らが主人公となる「物語」こそが何より大切なのだ。
そしてそれが自身のただの趣味を、人生の大切な思い出の1ページへと昇華させる。
だから僕は「僕と推しメンの物語」を、勝手に語っていこうと思う。
推しメンこと原田清花さんを初めて見た日
2020年1月下旬。
僕が広島へSTU48の2期生を見に行こうと思ったのは、曲が好きでたまーにライブを見に行ってる「ヤなことそっとミュート」さんが岡山県の津山でワンマンライブをするというので、翌日の広島での公演と回せるからというだけの理由だった。
(なおヤナミューさんは2022年6月26日で現体制を終了し、この時のメンバーは全員脱退した)
要するに、ノリだけだった。
その当時、僕の推しメンはこの頃まで沖侑果さんだった。
もっと言うと、STUに本格的に通い始めた2018年3月から'19年6月までは石田千穂さんだった。
僕の中では2人とも嫌いになったわけじゃないけど、ただ単に優先順位1位を「推しメン」と呼んでいるだけで、単純に1位が変わっただけだ。
たぶん、世間ではそれを「推し変」と呼んでいる。険しすぎるやろ。
STU2期生については、最終オーディションから見てはいる。
その時に投票してたのは内海さんだった。
とはいえ熱狂的に応援してたわけでもないし、内海さんが沖ちゃんと同じ岡山県出身というだけの理由だった。
彼女がオーデに合格してちょっとほっとした程度の感想を持ったぐらい。
だから、2期生の皆を一度は見てみないとな、という興味がただあった。
忘れもしない、2020年2月10日・月曜日。エディオン紙屋町ホール。
この日、津山から広島に向かう途中で、ミラーレス一眼のレンズ(購入額約8万円)を落として壊し、レンズを購入した広島市内のカメラ店に修理に出していた。
余談だが、このレンズは4か月が経つまで取りに行けなくなったうえに、後日入った政府からの特別給付金10万円のうち8万円が、レンズの全損交換で消えた。
さて、僕はAKB本店のヲタクではなかった(むしろ好きじゃなかった)ので、初めて見る「僕の太陽公演」は正直さっぱり刺さらなかった。
(ただ楽曲の「僕の太陽」だけは、STUに通い始めた頃に陸上公演でよくやっていたし、思い入れのある曲ではあった)
そのような中、公演の中の曲「向日葵」で、僕の視線は原田清花さんを追い続けていた。
決して歌もダンスもうまいわけじゃないし目立つ感じでもなかったけど、周りの子より少しだけ背の高い彼女の放つ表情の輝きの眩しさに、僕は心を奪われたのだった。
オーディションから推せば良かった、なんて思ったことは微塵もなかった。
僕は、「この日この時この場所で、原田清花という推しメンと出会った」という物語の始まりを直観的に感じていた。
そしてこの日2020年2月10日から、僕の推しメンは原田清花さんとなった。
ちなみに、写真は2020年3月、昔通ってたライブアイドルの妹分がライブをするというので、旅行がてら宮城・岩手へ出かけた時に現地のヲ友達に撮ってもらった写真。なにしてんだ自分。
pandemic2020
僕が原田清花さんを推しメンに決めた頃、当時の僕の勤め先があった中部国際空港界隈は、ちょっとしたパニックに陥っていた。
COVID-19パンデミックがやってきたのだ。
ウイルスが市井に蔓延る前の1月末頃、水際に居た僕は磯貝花音さんの卒業とパンデミックのダブルパンチでメンタルをやられまくっていた。
その後広島で推しメンを見つけたまでは良かったが、僕の周囲に限らず世界そのものが変わってしまった。
アイドルにとってもファンにとっても、苦しい日々が始まった。
僕も、正直なところ以前から仕事でダメージを食らっていたこともあり、とてもじゃないけど正気を保っていられなかった。
そんな中の2020年5月、企画でこのミサンガが当たったことは、僕にとっては推しメンと僕とを繋いでくれる唯一の絆のように感じていた。
どこにも行けない中、推しメンの誕生日にケーキを買うなどもした。SHOWROOMは基本好きじゃないんだけど。
2020年のGoogleカレンダーを振り返って見てると、本当にスケジュールが無かった。
久しぶりに入っていた予定が、10月31日のオンラインお話し会だった。
ただ、オンラインはやっぱり好きになれなかった。
11月にも参加したけど、あんまり乗り気になれなかった。
結果的に、ステージにいる推しメンを見たのは2月10日の1回だけで、オンラインお話し会もさほど参加しないし、推しメンと言いながら全く絡んでないことが悲しかった。
そのような中、数少ない推しメンの活躍の場として、セルアミの公演はすごく印象深かった。
【参考記事】
この頃彼女もかなり大変な思いをしていた様子が伺えたし、僕自身もしんどかったけど、彼女の演技とがんばりを見て、気を奮い立たせていた。
その後も仕事でどんどん体調とメンタルが削がれていく中、12月になって転機がやってきた。
北九州の街と、推しメンの活動休止と
結果から言うと、2021年1月から12月まで、僕は転勤で福岡県北九州市に住んでいた。
推しメンは福岡県出身とはプロフィールに載っていたけど、実のところ地元が北九州だということが、後になって判明した。
しかしながら、これを運命と言わずに何というのか。
実はこの少し前に転勤に関する規定の改定があって、転勤可能な都道府県を自分で選ぶ方式となったので、ここぞとばかりに岡山・広島・愛媛・山口・福岡を選択したのだ。
その後、早速2020年12月に異動の辞令があり、北九州小倉に異動することとなった。本音を言えば瀬戸内が良かったけど、北九州なら実質瀬戸内みたいなところだしまあいっかと思い、二つ返事で了承した。
一刻も早く現店舗を離脱したいという思いもあったけど。
とはいえそんなドタバタな時間の中の1月15日。
2期生は出演しないし引っ越しもあるからとスルーした、STUの初となる武道館コンサートで新曲が披露され、6thシングルで推しメンが選抜入りすることになった。
それを見て僕は、少しイライラしていた。
拗ねていた。
見に行けるものなら、STUの初めての武道館ステージを、ちほちゃんのセンターでの姿を、なにより推しメンの晴れ舞台を自分の目で見たかった、と。
しかしそのすぐ後、某テレビ番組で歌手のLiSAさんの「"今日もいい日だっ"エピソード」を見て、自分を恥じていた。
こんないい日に、僕はなにをこじらせているんだ。
また、その後メンバーの矢野さんが「今度は2期生を含めた全員で武道館に立ちたい」とツイートしていたのを見て、メンバーたちも同じ気持ちでいてくれたことが嬉しいのと同時に、自分勝手な考えをまた恥じた。
その翌日、1月16日。九州へ引っ越す前の日。
以前からの地元のヲタ友と、静岡県にある原田駅と岳南原田駅という2つの原田駅を訪問するという謎の聖地巡礼?をしていた。
ちなみに2020年9月には九州への旅で原田駅も訪れているので、原田駅全3駅をコンプしている。なんだそれ。
そして1月17日、僕は引っ越しのため西へ向かう途中、なぜか新神戸駅で推しメンとオンラインお話し会をしていた。
転居した翌日の1月18日、早速北九州から広島へ向かう自分がいた。
ちょうどいいタイミングでlittle Charming Tripの公演があったので、愛知から広島に来た友人と一緒に観に行った。
何がすごいって、広島から北九州まで1時間かからないのだ。北九州に来たことを実感した。
なお、miniSTUDIOの公演をこの3日後に見に行ったことも付記しておく。
僕はそこから、北九州での暮らしを始めた。
それと同時に、推しメンは活動を休みがちになった。
東日本大震災からちょうど10年が経った日。
推しメンこと原田清花さんの活動休止が発表された。
(そのうち続く)
この期間の主なできごと
▼2020年
2月10日(月) エディオン紙屋町ホールにて、2期研究生「僕の太陽」公演を初めて観覧
5月 『想いをみんなで繋げよう STU48手作りミサンガに想いを込めて』企画に原田清花で当選
6月19日(金) 原田清花生誕祭2020(19歳)
9月26日(土) 九州への旅で原田駅(福岡県)訪問
10月31日(土) 初めてのオンラインお話し会
11月11日(水) SEPT×STU48 配信限定公演舞台「Selfish amity’s」2期生版 上演
11月25日(水) オンラインお話し会
12月10日(木) 北九州市への異動辞令
▼2021年
1月11日(月) オンラインお話し会
1月15日(金) 「新春STU48コンサート2021〜瀬戸内からGO TO 武道館〜」にて2月17日発売の6thシングル「独り言で語るくらいなら」披露、原田清花初選抜入り発表
1月16日(土) 原田駅(静岡県)・岳南原田駅訪問
1月17日(日) 福岡県北九州市へ転居、オンラインお話し会@新神戸駅ホーム
1月18日(月) little Charming Trip公演@広島クアトロ
3月11日(木) 原田清花の活動休止を発表
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