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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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ウマ娘映画『新時代の扉』感想とマニアック小ネタ


注意

 この記事には、映画『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』の軽微なネタバレを含みます。
 ネタバレ絶対許さない派の方は本記事をご覧にならないでください。
 

感想

 映画『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』を見てきました。
 率直な感想としては、大河ドラマの醍醐味を詰め込んだ良質スポーツエンターテインメントだったな、というところです。

 ひと言でまとめてしまうと「良かった」になってしまうぐらい良かったです。シナリオの起伏、不均一な感情が交わって均衡を保つストーリーライン、四重・五重に層を成す演出、隠した意図を散りばめた小物……
 大変高い完成度で、喜怒哀楽のアップダウンでより増幅されたカタルシスが、王道ながら、いえ、王道であるからこそ強く胸を打ちました。
 あえてもうひとつな部分を挙げるとしたら音響でしょうか。私が音圧のある映像を好む傾向を持つので、好みの問題だとは思うのですが、レースシーンでウマ娘が芝を踏みしめる音により重さがあると嬉しかったです。

 これまでのアニメシリーズやゲームを嗜んでいる既存ファン(通称:トレーナーの皆さん)向けのちょっとしたファンサービスもすごくすごいのですが、そうしたネタバレ部分はカットしていきます。
 気になる方は映画館へGo!

 と、いうコトで。本記事では「演出」「小物」をクローズアップしてまいります。

解説

演出

 『新時代の扉』で特に印象的だった映像演出は以下の3つです。

  • タイトル回収

  • 伏線のリフレイン

  • 虹色

  • キャラクターの向き

 ひとつずつ解説していきます。


・タイトル回収

 定番の演出ですね。物語を象徴する現象として「『新時代の扉』を開けるシーン」が出てきます。
 『新時代の扉』では特に、タイトルに複数の意味を持たせてタイトル回収を複数回行っています。

 ひとつは、元ネタとなるレースで外国産馬の出走が許可された最初の年であることを念頭に置いていた実況アナウンサーが「新時代の扉」と発言したこと。日本競馬の歴史を踏襲しているウマ娘シリーズでも、こうしたレース制度の変更(=時代の変遷)を意識しているようです。

 次に、一時代を築いたと言われるほどの大活躍をしたウマ娘からレースの主役を奪わんとする新世代の登場を「新時代」という呼称に込めていること。
 予告編でも出ていたテイエムオペラオーは、2000年に出走したレースの8戦、中長距離G1の5戦を含む全てを勝利しました。特に2000年有馬記念は語り草です。
 この伝説的な活躍をもって、『新時代の扉』が描く期間はオペラオーの時代と競馬ファンが感じていた時代でしょう。なお2000年夏以降の中長距離G1レースは、1着がテイエムオペラオー、2着がメイショウドトウでした。
 この絶対王者に主人公ジャングルポケットは挑んでいくことになります。

 3つめは、ヒューマンドラマのクライマックスである主要キャラクターの精神的な区切りを重ねています。詳細は映画をご覧ください。

 4つめは、ウマ娘そのものへのメタタイトルです。
 アニメシリーズを通して1話冒頭で出てくるナレーション「彼女たちは走るために生まれてきた」「この世界に生きるウマ娘の未来のレース結果はまだ誰にも分からない」といった部分から、元ネタとなる史実の競走馬が辿った運命から新たな可能性へ羽ばたくことも、タイトルが示唆しているのではないでしょうか。


・伏線のリフレイン

 これは定番中の定番ですね。どんな媒体であれ、それが受け取り手に物語を味わわせるものであれば、クライマックスをより衝撃的にするために何度も仕込みをしていきます
 一般論ですが、こうした仕込み・刷り込みは、オープニングシーンで印象的に差し込み、映像媒体ならば30分に1回(連載アニメならばOP・ED映像に使うこともあり、漫画ならば100ページに1回、小説ならば1万字に1回)ほどのペースで繰り返し、クライマックスを迎えます。

 『新時代の扉』はそうした造りが非常に丁寧で、こうした基本的な演出の完成度が高いほど幅広い人の胸を打てるようになります。
 クリエイターとして手本としたいですね。


・虹色

 色彩演出についてです。ちなみにこちら、日本のアニメ作品に独特の広がりを見せている分野です。
 映画の色彩演出は、ハリウッドで主流な「シーンを1枚の静止画にしたときに見た人へ印象付ける”絵”づくり」に影響されてか、近年はどんな国の映画でもかなり絵画的な画面構成をします。
 しかし本作は、おそらく意図的に、ゲーム分野で発達した演出を多用しているように思われました。最も大きな効果を発揮していたのは後述するキャラクターの向きですが、次点で印象深かったのが色の使い方です。

 通常であれば、キャラクターごとのイメージカラーを繰り返し用いることによりキャラクター像を印象付けるのですが、『新時代の扉』では随所に虹色が使われます。
 現実的な話をすると、虹色という色は存在せず、自然光(白色光)をプリズム等で分解した際に見える色彩です。
 ゲーム内においては、虹色はガチャで最高レア度が当選した際の演出や、レアアイテムの色彩に多く用いられています。
 虹色イメージの強いアイテムはジュエルが代表かと思いますが、ウマ娘が夢を掴んだ証とされる「夢の煌めき」や、限界を超えた力を引き出せるとされる解放結晶も虹色をしています。
 近年の他のソーシャルゲームも含め、こうした虹色のアイテムは、総じて未来の可能性の概念を有しています。身近に目にする自然光から特定の色を見出す過程が、無数の可能性の中から特定の結末を引き出す抽選行為に重なるからでしょう。

 こうした、2010年代までに見られなかった色彩の使用例が一般に浸透しつつあることで、映像作品の色彩演出にも採用される下地となっているのだろうと思われます。


・キャラクターの向き

 さて、筆者が『新時代の扉』で最も重要だと思われる演出がこちらです。

 まず、キャラクターの向きや動く方向へどのような意味合いを持たせるか、についてですが、直感的な感覚とされる向きと伝統的な演劇で示される向きとで矛盾を抱えていることを示しておきます。
 直感的とされるものは、時は左から右へ(→)流れるというものです。これは古代エジプトなどの物語性のある壁画や、多くの言語を文字として記す際の表記方向、また数直線やグラフなどの科学的な表記が示しています。アクションゲームの横スクロールや動画のシークバーはこれにのっとっており、ゲームウマ娘のキャラクターストーリー中におけるレースシーンも右向きに走る形になっています。
 伝統的な演劇で用いられるものは、主役を右から左へ(←)動かすものです。これは観劇者から見て舞台の右側が上手(主役が登場する側)で、左側が下手(敵役などが登場する側)であると決められているためです。現在でこの演出が使われているシーンは、肖像画や写真で顔や体が左向きになること、会見・スピーチ・講義などの際に演者が右側から登壇する(学校の授業で先生が教壇へ立つ際に右側から教室へ入ってくる)こと、RPGの戦闘画面でプレイヤーキャラクターが右側に並ぶことなどがあります。

 映画『新時代の扉』では、レースシーン、特にそのゴールシーンにおいてゲーム版と同じ右への進行を未来向きとしていることがうかがえます。
 この演出が、さまざまなキャラクターの見詰めている方向、目指している目標、心の大部分を占めているものを示唆しており、濃密な人間ドラマを直感的に捉えやすくする、製作陣のひとつの挑戦なのではないかと思います。


小物

 映画『新時代の扉』にはさまざまな小物が登場しますが、中でも印象的なのはキーヴィジュアルにも登場しているプリズム風なペンダントではないでしょうか。
 物理学的な周辺知識も合わせて記していきます。

『新時代の扉』キーヴィジュアル


プリズムとは

 まず、プリズムとは「自然光を色ごとに分解する」アイテムです。
 日光や有機物を燃やしたときの光などをプリズムへ入射すると、光が波長、すなわち色ごとに分かれて出てきます。
 なんでそうなるの?と問われると、屈折と呼ばれる現象の理解が必要となります。高校物理の教科書が手もとにあれば読んでいただくのが手っ取り早いのですが、本記事では割愛します。『新時代の扉』に関わってくる光の性質については後述します。
 ともかく、プリズムは自然光を虹のように分けるということを押さえておきましょう。

プリズムによる分光


光の性質

 私たちが普段「明るさ」を認識している光は、様々な波長の光が重なり合った白色光です。映画やテレビの画面に映されるものがカラフルに見えるのも、これらの光の重なり合いによるものです。これをそれぞれの色に分けるアイテムがプリズムであることは前述しました。

 さまざまな実験によって、光は波の性質と粒子の性質を併せ持つことが分かっています。
 19世紀の科学者は、はたしてこれが何故なのか、紛糾しながら探求を続けました。その中で、光が水やガラスなどの物質中を通る際に速度がどう変化するのか試算した結果、波の性質と粒子の性質で反する傾向が導き出されました。この予測に白黒をつけるため、より精確に光の速度を計測する必要が出てきたのです。

 その計測実験方法としてフーコー(コリオリの力を証明したフーコーの振り子実験でも有名)が、パラパラ漫画の仕組みでもあるフェナキストスコープを応用した装置で光の速さを計測し、波の性質を支持する結果が得られたのでした。
 フェナキストスコープは後に映画の仕組みの基礎にもなっていきます。

フェナキストスコープの台紙

 こうして光は波である説が支持されるのですが、光が粒子の性質を持っていることもまた事実です。この光の粒子のことを光子といいます。
 アインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論に含まれる、質量ある物質は光速に至らないという性質に基づき、ファインバーグが1967年に発表した、常に光速である粒子(=光子)と、さらに常に光速より速く運動する粒子があるはずだよね?という内容の論文で登場するのが超光速の粒子「タキオン」です。
 フェナキストスコープからタキオンまで繋がっていますね。


タキオン

 さて『新時代の扉』で主人公ジャングルポケットのライバルとして登場するアグネスタキオンですが、この名前の由来となっている超光速の粒子タキオンについて深掘りしていきます。

 実は、タキオンの名を生み出したファインバーグの提唱した場の設定では、超高速を実現できないことがすぐに判明してしまいました。「超光速の粒子タキオン」は存在しないのです。
 現代物理学でタキオンと言うと、超光速の粒子ではなく虚数質量の場を表す語となっています。

 「虚数質量の場って何やねん」という声を上げる方もいるでしょう。これは場の量子論で出てくる概念で、とても本記事では解説しきれないので省略させてください。
 理論の枠だけ表すと、場の量子論とは量子論の中のいち分野です。これをミクロな視点で扱うのが量子力学となります。


量子論

 ここまで難しい話が続きました。本項は「量子論」と銘打っていますが、物理学好きが求めるガッツリな量子論は扱いません。歴史・学問上の立ち位置と、映画『新時代の扉』に関わる部分に限ります。

 量子論とは、物を投げる・速さを計測するといった古典物理学から先へ進んだ、粒子ひとつひとつの状態を参照する現代物理学を支える理論です。
 ザックリ表すと「これまで連続したものに見えていたけど、色んな状態の粒子が重なり合って連続して見えていただけじゃね?」という理論です。それこそ、別の静止画だったパラパラ漫画をめくっていくと一連のアニメーションになって見えるように。
 この状態の重なり合いについて、思考実験「シュレーディンガーの猫」が誤用されることが多々あるので注意されたい。

 ともかく、量子論によって新たな物理学への扉が開き光の波動性・粒子性の両立が説明されたり、超光速の粒子タキオンの存在が提唱されたりしてきました。


プリズムのペンダント

 さて回り回って戻ってきました、プリズム風のペンダント。「キーヴィジュアルに描かれているんだからそうだろ」と言われたらその通りなのですが、複数の意味と役割が重なり合って印象的に扱われています。
 その意味と役割を、可能な限りネタバレを避けつつ並べてみます。

 まずは、光るもの・輝くものの象徴です。夢とか希望とか憧れとか、そういったもののメタファーですね。
 アクセサリーとしてプリズム風のアイテムが使われる場合は、最も高価なものはダイヤモンド(あのサイズはあり得ませんが……)から、水晶、ガラス、安価なアクリルと、様々な素材が考えられます。
 その輝きの素が何であれ、日を浴びる場所まで出てきたのであれば光ることに変わりありません。素朴な素材から大きな輝く夢を掴んだキャラクターとしては、アニメ1期の主人公スペシャルウィークが思い出されます。

 次に、自然光を分光するというプリズムの性質に注目します。光は波長ごとに分けられるので、透過することで虹色の光を投射します。虹色については演出の項で述べていますが、この色彩には夢や未来の可能性の意味が込められています
 つまり、前述の光るもの・輝くもの、特に夢を象徴するアイテムであることが補強されます。加えて未来の可能性を見出すアイテムであることも見逃せません。

 さらに、この「自然光を虹色に分ける」性質を深掘りします。
 いくつもの色(波長)の光が重なり合っている自然光を各色へ分ける効果は、量子論における分析と類似します。つまり超光速の粒子タキオンの存在を提唱する可能性を含んでいるアイテムなのです。

 というワケで、キーヴィジュアルでジャングルポケットが掴もうとしているプリズム風のペンダントは、

  • 光る・輝く夢を象徴する

  • 未来の可能性を見出す

  • 超光速の粒子タキオンの存在を示唆する

といった複数の意味を有するアイテムなのです。


まとめ

 さてさて。本記事では読み解くのにちょっとしたコツや知識の必要な演出と小物に注目して映画『ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉』について綴ってきました。
 物語のネタバレを極力しない方向でまとめたので、特に演出については語っていない部分も多々ありますが、そんな知識など無くても大いに楽しめる映画でしょう。
 元ネタとなる競走馬のエピソードについては、競馬関係者を含めた多くの方々が語っていらっしゃるので、そういった情報も得てから観るとまた味わいが深くなるかと思います。

 大河ドラマやスポーツドラマがお好きならば、特にアニメが好きでなくとも楽しめること請け合いです。

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