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#Bible_Study

My help comes from the Lord, the maker of
Heaven and Earth
わたしの助けは来る 
天地を造られた主のもとから

Psalms 121:2
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「詩編」121編の1節にこのように歌われている。

「目を上げてわたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」

これは詩人の切実な祈りであり、神からの確実な応えを希求する
実にまっすぐな問いかけでもある。
エルサレム巡礼の際、人々はごつごつとした
岩山を越えて歩みを進めなければならなかった。
越えていかねばならない山々を見上げて、第一には厳しく辛い巡礼の道筋を思い、加えて山の頂のさらに上にある天をも見据え
この詩人は「わたしの助けはどこから来るのか」と祈りつつ問い、
神に応えを心から求めたのではないかと思う。

ある人は、この問いの背後にバビロン捕囚の経験を読み取っているとも
思える。

60年もの長きに亘り、イスラエルの人々は苦難と試練の最中に置かれた。
捕囚の民たちは、バビロニアの人々から

「お前たちの神は無力だ。死んだか、かき消えてしまった。
お前たちは救われない」

そんな言葉を投げつけられ、
深い悲しみや悔しさを抱え込んでいたのではないか。
しかしどれ程に強く祈り求めても
一向に解放されないため神ヤハウェを疑い、
信仰を見失う者たちも数多くあったのだ。
イスラエルの民たちは、自分たちが捕囚の憂き目に遭っているのは
神ヤハウェがバビロンの神々に敗れさったからだ、
こうした神への疑いを根深く抱えざるを得なかった。
解放された後もこのような疑いは晴れず信仰が揺らぎ続けていた
のではないかと。

そのような疑いや揺らぎを抱いて、詩人は

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」と、
神ヤハウェに改めて祈り、問うたのではないかと私は考える。

続く2節にはこうある。

「わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから」

これは、エルサレムの祭司が詩人の問いに対して
信仰の立ち直りのために答えを与えたものとの読みもある。
また自問自答の形で祈りの内に神の応えを与えられ、
「わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから」との確信へ
詩人は導かれていったのだとの読みもある。

いずれにせよ、1節から2節の間に時間の経過と同時に
信仰の深まりを感じ取りたいと思う。

生きていれば、幾度も乗り越えなければならない試練に直面することは誰にでもあるだろう。
それでもこの世界に生を受け生きている以上
例えどんなに辛くとも、耐え難い悲しみに打ちのめされようとも、
顔を上げ前を向いて思い出して欲しい。

「私の助けは天地を造られた主から来る」
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#todaysbiblestudy
#psalms121v1_2

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