平和を考えるより、戦争を考えるほうが想像しやすいのかもしれない
自分で書いてて、ひどいタイトルだと思うけど。
最近の「戦争法案」や、政権与党様内部での うにょうにょした感じとかを見ていると、先日お話を伺った憲法学の先生の言葉が、より心に響くんである。
「今は、戦争前夜です」
ほう。と思った。
「だから、まだ、間に合うんです。
戦争を止めることができる。」
あぁ。と思った。
まさに「腑に落ちる」って感覚。
昨日。
19歳のとてもかわいく、とても「今」な女の子が「戦争したくなくてふるえる。」というプラカードをかかげ、仲間とデモを行った。ある報道では700人のあらゆる世代のひとたちが参加したのだそう。
19歳の高塚愛鳥さん達の、「日本が戦争ができる国になろうとしている。マジ、ヤバい。」の言葉も、腑に落ちた。すとん、ときた。
私は「平和がいいよ」という表現をしてしまう。
「平和を守りたい」
でも、もう その段階は越えてしまったんだ。
「戦争前夜」であり「マジ、ヤバい」状況なんだ。
日本の、世界の未来は
あと10年か20年か、まあ長くて30年もしたら、自分の一生を終えるだろう、今、政治の中心にいるひとたちの為にあるんではないのだ。
私達おとなの世代は
今、なにが出来るのか。
とりあえず私は
「戦争」を考え、知っていることを伝えていきたい。
私が知っている「戦争」は、子どものころ育った広島から得たもの。祖父母からきいた話。それが私の骨格を作ったはずなんだから。