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時々だけど真面目に考えてみる

こないだ
スーパーではっぱが黄色くなった蕪が、半額でパックに詰められて売られていたので2パック買ってきた。パックとラップは余計やけど、これないと葉っぱがパラパラ取れてくるから、仕方ないんだろうなあ。

そもそも。
少し前なら 葉っぱが黄色いだけでも、捨てられていたのかなあ。

鰹節のミニパックが来月半ばで賞味期限が切れるから、半額になってた。買った。小分けパックはビニールを余計に使っているから、普段はまず買わないのだけど、ひとつでも食べる協力ができるのは有りかなと思って買った。

スーパーは便利。野菜からお肉、調味料から御菓子、なんでも1回でそろえられる。どれも、大量においてある。

便利。

便利すぎるような気がする。

包装は多いし、お肉も魚も野菜もプラケースに入っていてラップ掛かってて、ほんと、「余計や!」って気持ちになる。けれど、便利に買うのには、こうすることが効率的なんだろう。

私が子どもの頃って、まだスーパーは近くになくって、特別な何かを買う時に自転車で行っていた。滅多に行かなかった。
お肉はお肉屋さんだったし、魚は魚屋さんだった。

豆腐屋さんには、ボウルを持って買いに行っていた。転ばないように帰るのに、ハラハラしていた。お肉屋さんに行くのは好きだった。お使いに行くと、帰りにコロッケをくれる事があったから。「ちょっとおまけね」ってお肉をちょこんと足してくれるのも好きだった。魚屋さんも小アジを「ほら、おまけ」って足してくれたり、お会計が320円だったら「300円でいいよ」って言ってくれたりして、嬉しかった。コーンマフィンが食べたかったけど、パン屋さんには売っていなくて。近所の袋に入ったバターロールなんかも置いていた雑貨屋さんに、「ないですか?」って聞いたら、そのときは無かったんだけど、後日「仕入れておいたよ」とか。

そういう生活が、私の東京での生活の思い出。

晩ご飯の買い物だけでも、数店舗を回らないとならない、今と比べるととても不便。兼業主婦の今だと、こういう買い物は多分不便で難しいかもしれないけれど。
コロナで、必要なものをパパッと買うようになったり、レジの方の重装備と罹患への恐れなんかをみていて

昔みたいな 手間だし時間かかるし、便利じゃないけど

子どもの頃のあの ひと と関わり合いながら、必要なものを必要なだけ買う生活、に戻りたくなる、んです。

それにさー 包装も必要最低限だったし、魚は紙で包んでいたし、お肉は薄く切った木だったし、お豆腐なんてボウル持参だし

いろいろ 優しかったよね。

不便は優しいのかもしれない。

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