Jリーグと私とアビスパ福岡
Jリーグが誕生したのが1993年。
私が生まれたのも1993年。
私とJリーグは同級生だ。
遡ること2005年9月。
私は生まれ故郷熊本から福岡へと引っ越して来た。
当時11歳(小学校6年生)だった私。
あと半年で小学校を卒業するというタイミングでの転校に私は父に泣き喚きながら反対した。
「いやだいやだ!絶対行かない!」
そう叫んだのをいまだ鮮明に覚えてる。
望まない転校、引越し。
しかしこの引越しが私の人生を大きく動かす。
これは私とアビスパ福岡の物語。
サッカーはもう諦めた
当時通っていた熊本の小学校。そこにはサッカー部があった。友人がやっていたり父がサッカーを好きだったりした影響でサッカー部に入った。
小学4年生。下手くそなりにまぁまぁ頑張った。
顧問の先生も基本的には優しくてみんなで楽しくサッカーがやれた。
小学5年生になり、顧問が変わった。
勝利至上主義としか感じることができなくて、もやもやした。それでもまぁなんとかやってた。
夏の大会で点も決めれた。決勝点を取ることができた。でも怒られた。
チームが勝ってもみんな怒られる。
「10-0で勝ちなさい」
勝ち試合のあとにそう言われた。
私達は言われた通り、1試合10点を目標にし、決めても素直によろべない。そのようなことが続き、なんだか冷めた。
一気に冷めた。
「なんでこの人に怒られないためにサッカーしてるんだろう」
気づいたらサッカーを辞めていた。
楽しくない。
サッカーなんて嫌いだ。スポーツなんて嫌いだ。
先生なんて嫌いだ。大人なんて嫌いだ。
もうどうでもいいや。
福岡で出会ったプロサッカークラブ
そうしてサッカーを辞め、その分友達とたくさん遊ぶ…そんな日々を過ごした。
その後冒頭に書いたような出来事で福岡へと引っ越して来た2005年9月。
福岡と言えば…
そう。福岡ソフトバンクホークス。
「福岡に来たらまずは野球でしょ!」
ホークスには三冠王の松中がいたっけ。
初の野球観戦の相手は前年の日本一の西武ライオンズだった。
大きいドームに入り、初めてみた球場の広さ。
鳴り響く打球音。
大きな応援歌やメガフォンを叩く音。
みんなが一球一球に食いつき、結果に一喜一憂する。
その雰囲気がとても楽しかった。
野球っておもしろいんだなーって。
それから数週間。
父から言われた言葉。
「せっかく福岡に来たんだからサッカーも行こう!
アビスパがあるぞ!」
…
…
…
あびすぱ?
私はいまいちピンと来なかった。
以前住んでいた熊本にはプロサッカークラブがなかった。今はロアッソ熊本がJ2で頑張っているが、当時は前身チームのロッソ熊本が九州リーグかJFLかという所でなかなか注目すらされなかった。
一方福岡にはアビスパ福岡があった。
野球だけじゃない。サッカーもあるんだ。
しかし私にはいまいちピンと来なかった。
アビスパってどんなチームなのか?
「強いの?J2?ダメじゃん。
でもJ1昇格しそう?ふーん」
まぁせっかくなら。そう思って父と一緒にアビスパ福岡を観に行った。
人生初のサッカー観戦。
たしか横浜FC戦。そうだ、キングカズがいたんだ。
テレビとは違う世界。
大きいスタジアムに入り、初めてみた球技場の広さ。
時々響くボールを蹴る音や審判のホイッスルの音。
サポーターのチャントや手拍子の音。
みんなが1プレー1プレーに食いつき、結果に一喜一憂する。
「意外と面白かったな」
それが初めてのサッカー観戦の感想であり、アビスパ福岡との出会いだった。
初めての悔しさに不思議な気持ち
それからホークスもアビスパもそれぞれ何回か観戦した。
2005年、アビスパはJ2を2位で終え、J1昇格を果たす。
まだまだサッカー観戦レベルがひよっこの私でもJ1で戦うことになったアビスパにワクワクせずにはいられなかった。
いざ開幕。
しかし序盤はなかなか勝ちきれず、引き分けが多かった。
迎えたJ1第7節 。VS浦和レッズ。
レッズは闘莉王や小野伸二、ポンテにワシントンと豪華メンバーで開幕から負けなし。
一方アビスパは開幕から勝ちなし。
元々父は弱かった頃の浦和レッズを応援していたこともあり、この試合を観に行った。
人生初のJ1生観戦。目の前には日本代表の選手達がいる。レッズだけど。
浦和のサポーターの声が響き渡る。
しかしアビスパサポーターも負けてない。
両チームのチャントが響き渡る博多の森球技場は20000人を超える大観衆だった。
下馬評で言えばレッズが勝つだろう、と。
それでもアビスパの選手達は走った。
劣勢でもなんとか凌ぎ、何度かチャンスも作った。
負けなしのレッズ 対 勝ちなしのアビスパ
「これはひょっとしてアビスパ…劇的な勝ち方とかするんじゃないかな?」
粘るアビスパを見て、私は少し心の中で淡い期待をした。
しかし現実は甘くなかった。かつてお荷物と呼ばれても這い上がって来た赤い悪魔は一瞬の隙を見逃さなかった。
後半終了間際、クロスボールを闘莉王がヘディングで叩き込み先制点を挙げた。
アウェイ席の真っ赤に染まったレッズサポーターが一気に湧き上がる。
ホームのネイビーに染まったスタンドは静まり返った。
10000人以上のホームサポーターが落胆した。
ため息が伝染する…この雰囲気を私は初めて肌で感じた。
結局試合は0-1で敗れた。
この時に私は不思議な気持ちだった。
「悔しい」
そう。
自分のことじゃないのに。
トンネルを抜け出した喜び
レッズに負けて悔しい思いをしたが、それと同時にこんなに強いチームと戦ったり日本代表がいたり…
せっかくならまた見たい。
そう思い、何度もスタジアムに足を運んだ。
しかしなかなか勝利を見ることはできない。
9節のホームゲームでは勝ったが、その試合は行けず。
逆にそれ以降観に行った試合はことごとく勝てなかった。
それでも試合を観にいくのはやめなかった。
J1だからなのか。
アビスパの勝ちが見たかったからなのか。
自分でもそれはよく分からない。
気づいたら父と一緒にスタジアムに行ってた。
迎えた24節セレッソ大阪戦。
共に残留争いをしていた相手。
セレッソには大久保嘉人や西澤、森島らがメンバー入り。なぜ残留争いしているのか不思議な豪華メンバー。
アビスパはなんとかセレッソの攻撃を耐えると後半、布部のゴールで先制する。
その後もピンチを凌ぎ切りチームはようやく勝利。
私自身、初めてJ1でのアビスパ福岡の勝利を経験した。あの時のスタジアムの雰囲気はとても良かった。
誕生日だった布部がゴールを決めたことも重なって、スタジアムに駆けつけたサポーターみんなで喜びを分かち合った。
その後、ホームでは鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田にも勝利。これも私はスタジアムで喜ぶことができた。
長かったトンネルを抜け出し、アビスパ福岡を応援する楽しさを感じることができた。
応援してるチームが勝つってこんなに嬉しいことなのか、と。
このまま残留したい。そう思った。
悲劇の入れ替え戦で芽生えた想い
残留争いになんとかくらいついていたアビスパ。
最終節で甲府に引き分け、他会場の結果でギリギリ入れ替え戦に進むことができた。
なんとか意地で自動降格から逃れたのだ。
だからこそなんとしても残留したい。
そうして迎えたヴィッセル神戸との入れ替え戦。
アウェイのファーストレグは0-0。
迎えたセカンドレグ。
ホームで必要なのは勝利。
0-0ならば延長戦へ。
1-1以上、あるいは敗戦ならJ2降格。
生きるか死ぬか。
神戸の監督はシーズン途中までアビスパを率いていた松田監督。
そんな大一番を観に、スタジアムへ向かった。
試合は後半、神戸の近藤に先制ゴールを許す。
2点が必要になったアビスパは、布部のゴールで追いつく。
追いつくだけでは足りない。このままだとJ2に降格する。
選手は全力でゴールへと向かった。
攻める。攻める。ひたすら攻める。
入った!?入ったか!?入ってない?入っただろ!?
私が座っていたバックスタンドのサポーターはみな総立ち。いつも座っている人達が誰も座らない。
立って、手を叩き、声援で選手を後押しした。
しかし無常にも試合終了のホイッスル。
試合は1-1のドロー。
アウェイゴールの結果J2降格が決まった。
選手はピッチに倒れこんだ。
サポーターも落胆していた。
私は最初がっかりした。
今シーズンこんなに応援したのに。
なんとか踏ん張ってここまで来たのに。
あと1点取れたら残留だったのに。
J2に落ちるのか。弱いんだな。
そんなことを思って周りを見ると皆泣いていた。
隣にいる人も前にいる人も後ろにいる人も。
応援しているチームが勝てなかった。
その結果に対してたくさんの大人が涙を流して悔しがっていた。
当時中1の私にとっては驚きの光景だった。
言ってしまえば選手は他人である。
ただ他人を応援してるだけ。
それに対してたくさんの大人が涙を流すなんて…
いや。
それだけ好きなんだな。
サッカーはここまで人の心を動かすものなんだ。
たしかにそうだった。
この一年、試合を見てきて、勝てたら嬉しかった。
負けたら残念だった。
引き分けだったら、「あのシュートが入ってたら勝てたのに」って何度も思ったんだった。
アビスパは皆の、私の、心の中にいつもいた。
この一年楽しかったな。
サッカーの面白さを知れたな。
あー。
今日勝ちたかったな。
残留したかったな。
そんな想いで頭の中がいっぱいになった。
なんとなくサポーターが悔し涙を流す理由が分かった。
そしてそれと同時に感じたこと。
それは
いつかここにいる人達皆で喜び合える日が来たらいいな。
そういう想いが芽生えた瞬間、私はもうアビスパサポーターだった。
5年周期を乗り越えた2021年
それから私はアビスパ福岡を応援し続けた。
報われない年の方が多かったがたくさんの経験や喜び、悔しさを味わった。
2007年(中2)
リトバルスキー監督を迎え、開幕戦を5-0で勝利するも失速し昇格ならず。
2008年(中3)
波に乗れず昇格ならず。監督が途中で篠田さんに。
この年はロアッソ熊本がJ2に参入し浮気しかけるも踏みとどまる。
ジャンボのおかげで好きでいられたと言っても過言ではない。夏頃の横浜FC戦で3-2の劇的な試合を覚えている人はいるだろうか?あれがあったからアビスパを好きでいられた気がする。
2009年(高1)
ロアッソから高橋泰を獲得するなど、期待が高まったがびっくりするほど勝てなかった。観に行く試合はことごとく勝てなかった。シーズン最終戦でそうやく勝利を見れたが帰宅後インフルエンザに。散々。
2010年(高2)
中町公祐が躍動。城後の雷シュートや高橋泰のフリーキックなど劇的な試合が多く、J1昇格を達成。このシーズンは毎試合観てて本当に本当に本当に楽しくて面白かった。
2011年(高3)
待ってましたJ1。しかし壁は高くあっさりJ2降格。
昇格したのに前年の主力がいなくなれば勝てないさ。
2012年(大学1年)
苦しかったシーズン。
それでも大学生になり、友達を誘うなどアビスパ観戦の幅が広がった。勝てなかったけど。
2013年(大学2年)
マリヤンプシュニク監督はなかなか印象深い。
昇格はできず。私は彼女ができた。
2014年(大学3年)
昇格はできなかったが、彼女とたくさんアビスパを観に行った思い出。よく覚えている。この年のみアビスパでプレーした武田英二郎を応援し、退団が決まった後に雁の巣に会いに行った。
2015年(大学4年)
井原監督就任からのJ1昇格。卒論に追われながら観た昇格プレーオフ。北斗のゴールは叫んだ。
この年から戦術について少しずつ理解できるようになった気がする。
2016年(社会人1年目)
J1歯が立たず。カップ戦はなんとか勝てた試合もあったがリーグ戦はFC東京と湘南にしか勝てず。なぜこの2チームには2勝できたのか。
2017年(社会人2年目)
なんとかなんとか昇格に向けて踏ん張ったがプレーオフで悔し涙。あの悔しさは忘れない。この年初めてユニフォームを買った。(城後寿)
このシーズンのメンバーは冨安やら仲川やらウォンドゥジェやら豪華すぎた。
2018年(社会人3年目)
終盤勝ちきれず最後の最後でプレーオフ圏外に。
井原さんの退任が決定。
2019年(社会人4年目)
?
2020年(社会人5年目)
長谷部監督就任。コロナによる難しいシーズンになったが、怒涛の12連勝をしてJ1昇格を決めた。たくさんの歴史的瞬間を見れて嬉しかった。
そして迎えた2021年。
5年に一度のJ1の舞台。
今年こそはという想いは強かった。
話が少しずれるが、私は前年に自身のスポーツスクールを立ち上げた。
過去の経験を活かし、同じ思いをさせない、スポーツを楽しいと思ってもらえる場所を作りたいという気持ちで立ち上げたスクール。
そのスクールをアビスパ福岡サポートファミリーに入れた。
スポンサーへの仲間入りである。
振り返ってみると不思議なものだ。
福岡生まれでもないのに。
サッカー嫌いになったのに。
アビスパは弱かったのに。
それなのにアビスパ福岡は僕の人生を動かしてくれた。
そして2021シーズン、アビスパは過去トップレベルの快進撃を見せ見事8位で残留。
ジンクスを打ち破った。
翌年2022シーズンは苦しみながらもしっかりと残留を果たした。
私が好きになったアビスパはゆっくりではあったが確実に前を向き、成長していたのであった。
2023年はスポンサーに入れてないが、タイミングを見てまた入りたいと思う。
私だってアビスパと共に成長したいから。
あぁ、ちなみに私は結婚した。
2013年に付き合った彼女とね。
いつか皆で喜び合う。そんな日を信じて。
今は2023年。チームはJ1。
悔しさを胸に閉まったのは2006年。あれから本当にいろんなことがあった。
チームが消滅するんじゃないかと怖くなった日もあった。
サポーターが応援するエリアが変わった。
社長も何回も変わった。
それでも変わらないものもある。
あの日の悔しさを知っている城後寿はアビスパのバンディエラだ。
あの年悔し涙を流した中村北斗はクラブフェローだ。
福岡という地にはアビスパというクラブがあるのだ。
「いつか皆で喜び合える日が来たらいいな。」
私がそう思った日から17年が経った。
劇的ゴールやプレーオフ、J1昇格などで喜び合う日はあったが、私があの時に思い描いた喜びあう未来とはこれじゃない。
J1で優勝すること。
みんなで喜んで、笑って…
あの日流した悔し涙が嬉し涙に変わる日を待っている。
大丈夫。アビスパ福岡ならやれる。
俺は信じてるよ。
私とJリーグは同級生。
これは私とアビスパ福岡の物語。
この物語の結末はもう少し先の未来にきっとある。