*凹的ソルフェージュ考《番外編》歌手とのアンサンブルにおいてピアニストに求められること
前記事【*凹的ソルフェージュ考①~音楽をネイティブに理解するために~】の続編を書こうと思ったんですが、書き進めるうちにまず自分が身を置いている現場で求められることについて触れておきたくなりました。
基礎的な読譜に関するいろははさて置いて、*凹が作品に手をつけるところから、いざ現場に赴いた場合に大切にしていることや要求されることについて綴ります。
まずは、譜読み前の下準備について。
どんなジャンルの作品を譜読みするにも共通して調べるべきことが
・作曲家のバイオグラフィー
・作曲家が生きていた時代・国が持つ宗教観や時代背景
・作品の様式(時代的な慣習に基づくレトリック含)
といった内容です。
(※詩や台本がある場合は詩人や台本作家についても同様に調べます)
つい初っぱな音符を読んで弾いて手に入るようにしてしまいたくなりますがはやる気持ちを抑えてこういった地道な下調べをすることがより良い音楽づくりに繋がっていきますし、ただ過去の遺物を他人事のように扱ったり
大作曲家たちを実態も掴めないまま過剰に崇め奉ったり【*1】せず
より身近なものとして捉え、現世を生きる自分と融合していく_
音楽がクリエイティブなものであることの証とは、こういうことを言うのだと思います。
商業的、あるいは能力的な観点から“プロ”と誰しも認める存在でなくとも創造的な営みをすることは許されていて、そういった意味では誰もが自分の中の創造性を世に問える“音楽家”と呼べるでしょう。
_話は逸れましたが、こういった下調べをしたうえで、ようやく次の段階に進めます。
ここからは書かれている作品が歌曲伴奏なのか、オペラ伴奏なのか、楽器伴奏なのか、合唱伴奏なのか、ピアノソロなのかなどによってピアノに求められる役割が違ってくるので、共通する部分はありますが、ジャンル別に主に*凹が関わることの多い分野について話を進めていくことにします。
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◆歌曲伴奏
まずは詩の内容について、歌手同様単語の1つ1つの意味から理解したうえで韻律や前もって準備すべき子音の位置【*2】フレージングに基づいたブレスの位置【*3】を把握し、それらを歌手とディスカッション・共有する必要があります。
したがって、詩の朗読や詩のリズム読みができることのみならず、弾き歌いができることが望ましいとされています。
国際音声記号(IPA)に基づいたディクションを言語に応じて歌唱に反映させるための知識や、歌手という楽器の特性やウィークポイントに対する知識も必要です。
(これを自分に対してじゃなく、相手のコーチングの為に使いこなせるようになる為には…まだまだ修行が必要です)
ピアノの音色そのものによって表現され、歌との対話的な要素も少なくないことから技巧的にも音色の引き出し的にもピアニストに対する要求は歌とほぼ対等で、“伴奏”とは言うものの、演奏家としての旨味や矜持を持ってこの分野にのめり込むピアニストは少なくありません。
◇オペラ伴奏
基本的には歌曲伴奏に求められる事と変わりませんがオペラ伴奏の場合、オペラカンパニーという組織の中の一員として音楽をつくる必要があり、指揮者や演出家の要求する音楽に応えながら歌唱をサポートし、自分の音楽を表現しなければなりません。
指揮を見る能力も必要だし、視点が変わってもちょっとやそっとじゃブレない音楽の芯を捉えた練習が必要ありながら、テンポ変化などの指示があれば柔軟に対応することが求められる。
どんなシチュエーションにも対応しうる音楽の骨格の捉え方や価値観の多様性については、指揮者を必要としない分野においても大切なことなので是非フィードバックしていきたいですね。(これが一番難しいんですけどね…)
また重唱の場合、稽古時に全員が揃わない事も少なくなく、オケ本来の役割プラスアルファ不在の役のパートを弾いたり、時に歌ったりするのもピアニストの役割です。
自分以外のパートを把握するのはアンサンブルをする上でマストですね。
そしてそしてピアニスト的には“オケの音を弾く(出す)”ことも大事な仕事のひとつです。
元来オペラとは特殊な場合を除き歌を支える音楽部分はオーケストラの為に書かれているので、それがピアノ版にリダクションされた譜面を見て弾くわけですが、たとえば弦楽器のトレモロをピアノでクソ真面目に忠実に弾くのではなく、音楽的表現や元の楽器固有の表現に基づいてそれをピアノで模倣するのです。
ピアノにとって弾きやすい音形に書き換えられている場合も多く、稽古初期においてはパルスが明瞭なリダクションを敢えて弾くことが稽古の助けになることもあり、出版されているだけの意味のある譜面ではあるのですが、場合によってはよりオケの音に近づける為、ピアニストが手を加えて自分だけのオリジナルリダクション版に仕上げることもあります。
“真面目に書かれた音を全部弾かないからオペラ伴奏ばっかりやってるとピアノの弾き方がいい加減になる”
と揶揄する人が時々いますが、これには異を唱えていかなければならないと思っています。
なぜなら、オケの音を忠実に再現するにはピアノの構造を熟知している必要があるからです。
仕組みを熟知したうえでコントロールする訓練をすることに、果たして違いがあるのでしょうか_
_カンパニーに自分が稽古ピアニストとして呼ばれるのか、それともピアノ1台or2台で本番も演奏するピアニストとして招かれるのか、という違いは決してこのことをネガティブ的側面から評価した結果というわけではありませんが、日頃裏方的ポジションで立ち回る身としては、やはり分かりやすく陽の目を見る機会というのは特別なもので、キャリアの中で是非挑戦していきたいと思う人も少なくないです。
言うて稽古場だと効率良く稽古する為に必要な音だけ取り出して弾くこともあるしね。。。
◆合唱伴奏
ここまでに挙げてきたこととの共通点もかなり多いんですが、合唱に特化した内容でいうと、合唱パートの音読みはめちゃ重要です。
練習中に各声部の音取りをするある為、最低限各パートはネイティブに弾けなくてはなりません。
また、自分で音が取れる団員さんが多い団であればあるほど響きの中(和音の中)の音から音を取れますが、この比率が低い団の場合は一言一句間違えられない生命線となる為責任重大です。
似たようなお世話として、音を取るアシスト的な和声をうす~く入れることもあって、その場合も和音として成立する構成音だとしても歌う際にミスリードとなる音を入れない配慮が必要だったりするので、これもわりと責任が大きかったりします。
また、パートを抜き出して合わせたり全パート合唱をなぞる形で音を弾くこともある為、基本的にはバッハのフーガのような対位法的なピアノ作品を音楽的に弾けるくらいさらう必要があります。
なのでぶっちゃけ*凹的にはオケパートとかピアノパート普通にさらうよりずっとずっとデリケートで神経使うから準備期間が欲しかったりします。
だってピアノ向けに手に入りやすい音形してるわけでも自分が弾きやすい形に最適化したリダクションでもないし、
歌詞があるぶんある意味オケ譜以上に一段一段独立してるから縦にザッと読んでそれぞれを一本の独立した線として捉えて演奏するのけっこう大へ…(コホン)
そんな言い訳が現場で通用するわけがないのでやるしかないんすよねー、でも可能な限り早めに言ってくださいね☆()ってなるやつです。
…そんなこんなであれこれ書き綴ってきましたが。
書き漏らしないかな。いや、あるな絶対。
でもあらかた要点は触れられたんじゃないかと思います。
よく、ピアノソロじゃないから旨味がないんじゃないかみたいに言われることがありますが、決してそんなことはないというのが少しでも伝わっていれば幸いです。
分かりやすく主役です!じゃないと演奏会のお声かけをしても渋い反応をされてしまうことって伴奏ピアニストさんなら経験あることかと思われますが、ミジンコとかノミとかなりにも命削って音楽作りしてるんすよ。
というか、ミジンコやノミほど削る命が多くないから是非来て欲しい(冗談ですw)
↓本文中の注釈ですが、ある意味一番伝えたいことがここに詰まっています。注無しで理解できるという方も是非飛ばさずにご一読いただけるとゆきぼことっても嬉しいです
【*1】個人的に、こういうイメージがクラシック音楽を人々から遠ざける悪因となっているように思います。
難しさにも色々あるけど、自分の生きる時代となんの接点もないものだと初めから感じてしまっては、そりゃ生活に追われる世代にとっちゃ縁のない話だと思われてしまっても仕方ないよなぁと。
本来血の通った、先人たちの息遣いや温もりが感じられる、愛やロマン溢れるワクワクするような営みなんじゃないかなぁ。
そして何より、何百年も残り続けているというのは作品そのものが優れているというだけでなく、それを伝えてきた演奏家や聴衆がいたからで。
時や国を超越して伝え続けられてきたものには普遍性があって、そのことに気づけた時はじめて、“自分事”になる。
非常に時間のかかる面倒くさい作業であるけれども、少なくとも考古学や歴史学、民俗学を面白がれる人にとってはピンとくるものがあるんじゃないですかね。
古地図と現行地図を見比べて当時の営みに想いを馳せたり、自分と重ね合わせてみたり、そんな事に近い気がしてます。
*凹もそういうのワクワクします。(※方向音痴ではある)
言うまでもなくご時世は今、クラシック業界を斜陽どころか存続の危機にまで追いやろうとしています。
わが師匠をはじめ、第一線で活躍する音楽家たちが警鐘を鳴らしているのを見て、“自分みたいな若輩者が…”などと尻込みしている場合ではないと感じました。
若い世代には若い世代なりの発信方法があるのだから。
世間的にはまだまだ時間をつくって話に耳を傾けてもらえる立場にないペーペーだから、そんな場を自分で作りたかったというのもこのnoteを始めた理由のひとつです。
どうか1人でも多くの人に音楽というものが身近な存在となりますように。
【*2】音符のある位置は基本的に母音を発する位置なので、子音がたくさんある言葉の場合は必ずしもオンタイムに太鼓の達人のいわゆる“ドン”とか“カッ”が来るわけではないのです。
ただ感覚的に待つのではなく、生きた言葉のリズムで歌われ、弾かれる必要があります。
【*3】歌手が声楽の先生による指導を仰ぐ際、ブレスコントロールがある程度できるようになるまでは元来作曲家の意図したフレージングに基づくブレス位置やテンポを一旦無視してたっぷり息を吸って歌うよう指示される場合があるのですが、声を育てる為に便宜上良しとされているだけです。
それを誤解して音楽上意味のないブレスを共演するピアニストに要求してくる方が時々いますが、本来計算し尽くされた作曲家のフレージングから表現方法を探るべきだし、楽譜を深く読み込めばピアノパートにフレーズを長く保つ為の助けとなる音が書かれていることも少なくないのに、本当に勿体ないな…と思ってしまいます。
もちろん歌手の声を育てる事を第一に考えてのレッスンが行われる事はそれはそれで大事です。
声楽の先生が間違っているわけではなく、受け持つ役割が違うのです。
日本ではまだまだ専門性の重要さに対する認識が高いとは言えず、指揮者以外で声楽の先生からのコーチングを受ける以外の選択肢を持たない場合も少なくないのですが、
海外では声の事とは別に音楽的・言語的観点から作品を掘り下げ、より良い歌唱に繋げるコーチとしてコレペティトール(よくコレペティと略される)と呼ばれるスペシャリストがこの領域を受け持ちます。
*凹が目指したい姿のひとつであり、今最も熱量を割いて学んでいる内容です。
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