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「神に選ばれし者たち」について
推し活でウィーンに来ている。今回はクラウス・マケラのウィーンフィルデビューを見届けるためにやってきた。
今年は6月に同じマーラーの交響曲第6番をGustavo(グスターボ・デュダメルのことをあたくしはこう呼んでいる)の指揮でベルリンのフィルハーモニーで聴いたばかり。演奏については、こんなにも違う、どこが違うというのも難しいくらい、正直、同じ音が鳴っているのに、同じ曲を演奏しているとは思えないくらい、全てが違ってそのことをいまだに(ベルリンでは3回、ウィーンも公開リハーサルを入れると今の時点で3回聴いている)理解できないでいる。
ただ、今日ここで書きたいことは、演奏そのものではなく、クラウス・マケラ、マケラさまのことである。昨日、初めてお目にかかり、お話をすることができた。その時の、ものすごく柔らかな印象、それが頭から離れない。
何なのだ?彼のリハーサル風景などを見ると、現代風というのだろうか、要点を押えて要領よく小気味よく進んでゆく。無駄がない。また、パネルディスカッションのようなものも聞いたことがあるが、それも頭の良い人ー要点を掴んで話す、早口で話す、印象があった。
それなのに、英語の得意でないあたくしを慮ってくれているのだろう、ゆっくりと、こちらの話を最後まで聞き、反応してくれる。記念撮影も、普段はお願いしないのだけれど、マケラさまとはそう頻繁に会うこともできないだろうからお願いしてみたところ、ふわっと近くに寄ってくださった。こちらが警戒感を感じない、ふわっとした近寄り方だった。
以前、作曲家藤倉大がその著作『どうしてこうなっちゃったか』の中でGustavoのことをこう書いていた。
『人見知りの激しい僕は、マエストロは初対面からいきなりすんごいフレンドリーなんだろうな、僕はその手に引っかからないぞ、と心の防御壁を高くして警戒した。にも関わらず、ドゥダメル氏は、「会うの久しぶりだけど僕たち同じ小学校だし、昔から大親友だよね」みたいな、強烈かつ巨大なフレンドリー光線で包み込んでくる。こっ、これか、これが彼をして一気に世界の大スターにならしめた愛嬌か!世界中の﨟たけた名門オーケストラを虜にするのは、音楽の才能とともに、この、何だか知らないけど、みんなを一気に家族の一員にするオーラがあるからだと思う。』
おそらく、マケラさまはもう少しエレガントで優しい感じだとは思うものの、同じような特別なオーラを持っているのだと思う。神に選ばれし者たち。Gustavoの時もそうだったけれど、今回もその毒気(?)に当てられてしまった自分がいる…