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私はその「賭け」に負けたが、人生には負けていない、と思いたい

あるメッセージアプリでやり取りをしている人と、お互いに伊坂幸太郎氏が好きであることが判明した。
その人が「アイネクライネナハトムジークの漫画版がよいですよ」という話をしてくれた。
そう言えばいくえみ綾さんが漫画化していたっけ、と軽く考えて、夏休みにはいる直前だったこともあって、私はそのままネットでアイネクライネナハトムジークのいくえみ綾さん版を購入した。

正直、アイネクライネナハトムジークって何の話だっけ?くらいの気持ちで最初のページをめくったのだけれど(一時期、膨大な量の小説を読んでいたので)、すぐに思い出した。
けれど、妻子に出ていかれた男性と夫に出ていかれた女性の話は、そのページになるまで思い出せなかった。
たぶん、封印していた。

私が元夫と別居したとき、まだ離婚は想定外だった。
むしろ、自分のしてきたこと(私への無視や束縛や経済的制裁や暴言などなど)を反省して、冷静になって謝ってくることを期待していた。
まぁ、それはまったくもって期待外れで、それどころか何もないのにとんでもなく私を罵倒するという悪化の一途を辿ったのだが、当初はまだ信じていた。

別居したのが12月の初めだったからそれから数カ月後にあたる冬の終わり。
私は期間ギリギリの特別展に気づいて特急に飛び乗り、長野へ向かった。
せっかくこんな距離を移動したのだからと、善光寺に御参りをした。
そこで、ちいさな、病気平癒、と書かれたおふだを授けていただいた。

私はその御札を、元夫のスーツの胸ポケットに忍ばせた。
ちょうど「スーツを送れ」と命令されていたからだ。
この御札に元夫が気付けば、何かしらの反応があるだろう。感謝があれば、私はまた同居して、夫婦としてやり直そう。
そう、考えて。

結果、元夫は全く反応などせず、その後離婚を望んだ私のことを「頭がおかしくなった」と言いふらして5年も裁判を続けたわけで、私のその気持ちとか、御札の行方とかはまったく無視されたわけになる。
クリーニングに出せばお店が気付くだろうし、本人じゃなくても(40代兄弟が感謝もなく家事全般を押し付けている)元夫の母が気付くこともあったろうから、推測するに私の気遣いというか、願いは軽視されたのだろうなと思う。

私が御札をスーツに忍ばせた時、たぶんアイネクライネナハトムジークは読んだ後だった。
確実に意識したかと言えば嘘にはなるけれど、何かしらの影響はあったように思う。
無意識と意識的に間にある、あやかり程度のところで。

現実はハッピーエンドにはならない。
だから、物語の中くらいはハッピーであってほしい。
セザンヌが望むように、不条理は現実だけ充分だと私もそう思う。

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