二人の飲み会。二人の安堵。
成人式には、行かないと思っていた。
いや、18歳成人となった今は二十歳のつどいと名前を変えているし、これは私の息子の話なのだけれど。
住んでいる地域の中学校区で集まるこのイベントは、当時の担任とか学年主任とか、都合が付けば校長とかが出席するし、市町村の教員が深く関わっている。
息子は高校へ行けなくなる前から、学校が嫌いだった。
嫌いという軽い言葉では表現できないかもしれない。
嫌悪。むしろ憎悪。
生まれつきの障害特性から集団行動が苦手であっただけでなく、息子はいわゆるギフテッドというもので、要するに教員からすると『扱いに困る子』だったものだから時に教員からイジメともいえる対応を受けてきたから、というのが大きな理由。
だから、教員との再会を強いられる場所は避けると思っていたのだ。
「明日、◯◯と一緒にいくから」
二十歳のつどいの前日。昼食をとりながら息子がさらっと私に告げた。
私は平静を装うのに必死で、少し舌を噛んだ。
◯◯は息子の中学校からの友人の名で、今も度々遊んでいて、なんなら息子の友人の中で私の作った夕飯を一番多く食べている。私の勝手な人生理論で言えば、親戚枠の人間なのだが、中学校に良い思い出がないし、少し生活や人生やいろんなことに大変なことがあって、頑張りおやすみ期間中の息子の仲間だ。
二人で行くのか。
二人とも大嫌いだった、あの中学校の仲間の集まりに。
「ネクタイ、黒いやつ以外あったっけ?」
私の動揺をよそに、息子は続ける。
スーツといえば黒いネクタイだったこの約1年。しかし私は、息子が高校の自主退学届を書いたその足でスーツとワイシャツとネクタイを購入しているのだ。
制服が着られなくなるのだから法事やふいの正式な場に困るという思いが一番。そして、成人式の前に購入するなんてプレッシャーを避けるためでもあった。
そのスーツに袖を通して、息子は本当に出かけていった。
成人式用でもあったけれど、決して成人式に着ていくなんて実現しないと思っていたのに。
「写真撮ってきてよ」
自分で車を運転して、結局もう一人増えた友達を迎えにゆく息子に、まぁ無理だろうと思いながら声をかけた。
驚いたことに、会場から1枚、友達とのツーショットが送られてきた。
その上「マスク取って全身の写真を撮りたい」と二人して帰宅したものだから、3年前に娘の成人式で使った三脚とBluetoothタイマーを貸し出して、2人で撮影してもらった。
私が撮影するよりも、二人で画面を観ながら撮影したほうが、自然でよい写真が撮れると思ったし、そーゆーエピソード込みで、息子の友人の離れて暮らす母親へ届いたら良いなと思ったから。
そんなふうに撮影された写真は。
カメラに記録された二人は。
笑っていた。
戯けたポーズで、笑っていた。
私はその写真を息子と息子の友達のスマホに転送しながら、そっと娘にも送った。
正直、どうしたら良いかわからないくらい嬉しかったから、息子のこの数年のアレコレを全て知っている存在に伝えて共有したかった。
とてもひとりでは、現実を飲み込めないくらい、信じられないくらいの写真だった。
はたして、娘にとっても弟は心配な存在なものだから、娘の喜びも激しく、私と娘は二人で静かに、そして深く、「友達がいてよかった」と頷きあうことになった。
息子の抱える問題は大きくて多いけれど、彼には友達がいる。それは、決してお金で買えない、なにより豊かな彼の財産だと、私は身を持って知っているから、こんなにもありがたいことはない。
先にこの世から消える母親の私と、結婚して側には居られなくなる未来が色濃い娘には、なにより喜ばしいことなのだ。
例え、今一緒にいる友人たちと疎遠になったり物理的距離が発生しても、友人との記憶がある、対人関係を築くことができる、その体験が息子の人生を力強く後押しするし、新たな対人関係を見つけられると私も娘も思うのだ。
いろんな想いを込めて、私は「同窓会には行かない」という二人に料理をつくり、ささやかな感謝と祝福を贈った。
実は、息子があまりに直前になって準備をし始めたものだから、コートを買っていなかった。
もしやと思って父のタンスを探してみると、まったく見覚えのないコートが1枚あった。
とっくに定年退職していた父が、一体いつそのコートを着ていたのか知らないのだが、確かに父のサイズのそのコートは、何故か息子にも着ることができた。
160センチ余りのやや肥満体型であった父だが、そういえば腕が長かった。170センチ以上ある痩せ型の息子が着るそのコートのは、ちょうどジャケットを隠す丈になり、腕の長さはピッタリだった。
そして、息子が友達と二人で記念撮影をしたそのカメラと三脚とタイマーで、3年前に、振袖の娘とスーツの息子に挟まれて父は笑顔で写真におさまっている。
その写真が、父の遺影になっている。
実父よりも祖父を父だと認識している息子は、コートと財布と自動車を譲り受けて、3年前と同じ道具で映る写真で笑っていた。
私は、彼を養育し療育してきた20年間を、誰が何と言おうと素晴らしかったと言い切ることにした。